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説得され、次第に「娘は本当は無実なのかもしれない」

 惠子さんはなぜ冤罪と言えるのか? 有罪を裏付ける物証が何もない。証拠は逮捕当初の自白だけだ。だがそれは内縁の夫Bさんによるめぐみさんへの性的虐待を知らされ、気が動転している時に無理矢理迫られたものにすぎない。だから惠子さんはすぐに否認している。裁判でもずっと「やっていない」と訴え続けている。

 惠子さんの高校時代からの親友Nさんも伊賀さんと共に説得に加わった。めぐみさんのことが大好きだった惠子さんがそんなことをするはずがないと。さらに、弁護団が行った火事の再現実験で、自白通りの方法では放火はできないということもわかってきた。こうして平造さんも次第に「娘は本当は無実なのかもしれない」と考えるようになった。

 それから平造さんは、国民救援会が街頭で無実を訴えるビラ配りをする際に、参加者にお茶などを差し入れるようになった。そのうち自分もビラ配りに加わるようになる。娘の無実を次第に確信するようになった。

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串カツ屋で父の平造さんと。帽子がお気に入り(筆者提供)

 控訴審の判決を前に、平造さん夫妻は再び惠子さんに面会に訪れた。10年近い断絶を経ての再会。惠子さんは疑心暗鬼だった。

「判決で無罪になったら私に頼ろうと思って来たのかなあと。何を話したか覚えてないけど、もうすぐ判決だから、ということで……話は盛り上がらなかったわ。差し入れは断った」

弱った両親を受け入れようという心持ちに

 結局、控訴審も最高裁も有罪で、惠子さんは無期懲役が確定し、和歌山刑務所に収監された。惠子さんの心境が変化するのは、その頃からだ。刑務所に面会に来る平造さんがしきりに愚痴をこぼすようになったのだ。

「母親が弱ってきて認知症も現れて、いろいろ大変でクタクタだ、って言うのよ。こんな弱気なことを言う人じゃなかったんだけど、年をとってこんなこと言うようになったんだ、ってね」

 惠子さんは次第に両親のことを再び受け入れようという心持ちになっていったという。互いにはっきりと謝罪や感謝の言葉を口にした訳ではなかったが、こうしていつしか、断絶した親子はふんわりと和解した。

 2015年、大阪高裁で再審(裁判のやり直し)が決まり、刑務所から釈放された時、惠子さんは迷わず、実家で両親と暮らす道を選んだ。

2016年8月無罪判決となった惠子さん ©共同通信社

 逮捕から20年ぶりに戻ってきた惠子さんを、母の章子さんはしっかり抱きしめた。平造さんも「よかった」と娘に言葉をかけた。

相澤冬樹(大阪日日新聞記者)

あいざわふゆき/1962年宮崎県生まれ。東大法学部卒、87年NHK入局。2017年、東住吉冤罪事件を扱ったNHKスペシャルで取材を担当。18年、森友事件の取材の最中に記者職を解かれNHKを退職。著書に『安倍官邸vs.NHK』。