自らを「心神喪失者」と認めるのか
後述するように、彼の犯行動機が「意思疎通のとれない障害者は安楽死させるべきだ」という主張であったことを考えると、自らを心神喪失者、または心神耗弱者と認めることは、「植松、お前こそ安楽死すべきだ」といわれるに等しい。
彼がこの矛盾をどう心の中で整理し、弁護方針に従うのか、それとも自分の主張を貫き通すのか、その大きな葛藤に身もだえする思いだったのではないか――。
横浜拘置支所に勾留される植松聖と、12回目の面会を行ったのは昨年12月10日のことだった。
この日の面会は、月刊誌『創』編集長の篠田博之さんと一緒だった。その直前に植松から私の自宅に電報が届き、日程が立て込んでいるので篠田さんと同席で面会をお願いできないかといってきたのだ。裁判を前に、彼の元にはマスコミ各社からの面会依頼が殺到し、各社が相乗りでの面会が多くなっているようだった。
植松はまるで売れっ子スターのような状況にあった。私が以前、「多くのメディアや専門家が面会に来ることについてどう思いますか」と尋ねると、「こう言うとおこがましいですけど、意思疎通できない障害者をどうすべきかという問題は、やはり重要だという認識がみなさんにあるからじゃないですか」といった。
植松は、2016年7月26日未明、相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」に侵入し、入所者19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた。
衝撃的だったのは、彼がその施設に3年以上勤務した元職員だったこと。そして何より、その動機について「意思疎通のとれない障害者は安楽死させるべきだ」「重度・重複障害者を養うには莫大なお金と時間が奪われる」などの自説を展開し始めたことによる。
植松は、意思疎通のとれない障害者と、とれる障害者を明確に区別する。後者は社会に貢献できる可能性がまだ残されているが、前者は「人の心を失った人間」という独自の意味づけを行い、「心失者」という造語で呼ぶ。それが日本の財政を圧迫し、不幸をばらまく根源であるというのだ。