「鼻先を小突きました」
例えば、第9回公判(1月27日)の被告人質問において、次のような場面があった(以下、検察官は「検」、植松被告は「植」)。
検 やまゆり園の職員の方たちについて、何か思ったり感じたりしたことはありますか?
植 少し感覚がズレてしまうのかなと思いました。
検 どんなふうに?
植 人間として扱えなくなってしまうと思いました。
検 具体的には?
植 口調が命令口調で、(利用者を)人として扱っていないと思いました。
検 職員の方が暴力を振るうことはありましたか?
植 聞いたことはあります。
検 見たのではなく?
植 あーどうだろう……自分は、初めは暴力は良くないと思っていました。
検 「良くない」と職員の方にいったのですか?
植 はい。
検 その職員の反応はどうでしたか?
植 2~3年やればわかるよといわれました。
検 あなたも暴力を振るうようになったのですか?
植 無駄な暴力を振るったことはありません。
検 無駄じゃない暴力というのは?
植 しつけだと思ってやったことはあります。
検 どんなことを?
植 鼻先を小突きました。
検 鼻先を?
植 犬も鼻先を小突いてましたんで。
検 動物のしつけと一緒?
植 はい。
検 そういう経験を通して、意思疎通のとれない障害者はいらないと思った?
植 はい。
こうしたやりとりが行われたにもかかわらず、審理の過程で大きな論点となることはなかった。
死刑判決は当然だと私は思う。しかし同時にこうも思う。「障害者はいらない」と主張して事件を起こした植松に対し、「お前こそいらない」との判決を突きつけるだけで終わるなら、それは本質的な解決といえないのではないかと。