知っているようで、じつは何も知らない事柄は世に多い。その代表格が「彫刻」なるもの。

 彫刻という言葉はもちろんわかるが、じゃあ彫刻の何を知っているかと問われれば答えに窮してしまう。

「ロダン」「ミケランジェロ」などの名が挙がれば詳しいほう。あとは図工の時間に彫刻刀でケガした思い出が、ふいに頭をよぎるくらいか。

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 彫刻の森にもうすこし踏み込んでみてもいい−−。そう思う向きは、これを観るのがベストだ。

 武蔵野美術大学 美術館・図書館での、「オムニスカルプチャーズ ー彫刻となる場所」展。

会場風景(アトリウム1・2)

現代日本を代表する彫刻家11人が集結

 大学構内にある美術館で彫刻のグループ展が企画され、総勢11人の参加が決まったのだが、この顔ぶれが錚々たるもの。現代の彫刻表現を牽引する彫刻家が一堂に会することとなった。

 それぞれの作品を順に観ていってみよう。彫刻とひとくちに言っても、こんなにも素材、技法、表現手法、テーマやモチーフは多岐にわたるものか。そう改めて気づかされ、ちょっと呆然としてしまう。

 1947年生まれの戸谷成雄は今回の最年長出品作家。チェーンソーを用いた木彫を手がけ、交錯する視線を可視化したりと多くは抽象的な形態をとる。それが何をかたどっているのかは名指せないけれど、入り組んだ造形から異様な気迫と緊張感が放散されていることはたしかに伝わる。今展には、キャリアのごく初めの頃につくられた《横たわる男》も出品。横たわり動かない人物像が発するこの迫力はいったい何事か。

戸谷成雄 (手前)《直方体の四等分(あるいは低くて薄い壁)》2018年、(うしろ)《視線体 − 連》2021年

 舟越桂は一転、徹底して具象的なかたちを持った作品をつくり上げる。木彫の半身像は、直立して静かに佇んでいる。遠くを見やる神秘的なまなざしは、きっと観る者の内面まで見透かしているんだろうと感じられる。

舟越桂 (右から)《誰の眼とあるか、スフィンクス?》2011年、《マスク》1982年、《スフィンクスには何を問うか?》2020年

 日常でよく見かける素材を軽やかに作品化してしまうのは伊藤誠だ。FRP(繊維強化プラスチック)やゴム、ステンレス、鉄などから何の用途も持たないようなかたちを生み出し、それらを空間にさらりとしつらえる。身を置いているだけで心の浮き立つ場が、伊藤作品によって生まれ出るのだった。

伊藤誠 (左から)《遠くの場所-1》2021年、《知らない場所 Ⅲ-01》2020年、《Intersection》2018年、《充電》2014年、《知らない場所Ⅱ-04》2019年、《1.25 fathom》2021年、《半分の頂点》2018年