長男・高平は、高利の遺言をもとに、宝永7(1710)年、京に「三井大元方(おおもとかた)」を設置。これは、三井家の江戸・大坂・京都の全事業を統括する最高統制機関であり、三井家の資産を一括管理する機関でした。一族の者が起業する際には、その資金の貸し出しも行ないました。現在でいう、ホールディングス制の先駆けとも言える制度であり、まさに、高利の遺言の精神を引き継ぐものでした。
その後も、この制度を子孫たちが守っていったため、江戸時代はもとより、幕末の動乱も乗り越えました。三井家は明治維新後も、三井財閥(現三井グループ)としてさらに発展していくのです。
【江戸式を受け継ぐ現代のマーケティング戦略】
「傘シェアリング」はこう進化した
越後屋が始めた傘のシェアリングサービスは現代にも受け継がれています。特にここ数年、いろいろな傘のシェアリングサービスが登場しました。大きく以下の2つの方向性があります。
(1)社会貢献活動の一環
(2)ビジネスとして成立させる
どちらの方向性にも大きな問題がありました。貸し出した「傘」が戻ってこないという問題です。
中国では苦戦続き?
中国の深圳を拠点とするスタートアップ「Sharing E Umbrella」は2017年4月、1000万元(約1億5千万円)の予算を投じて傘シェアリングサービスを国内11の都市で開始しました。デポジット(預かり金)を取り、あとは利用料(30分1元≒15円)を取るというシステムです。計30万本のシェア用傘を国内11の都市で開始しました。しかしこの事業は、たった数週間で破綻してしまいます。ほとんどの傘が戻ってこなかったからです。デポジットを取り、傘にロックがかる管理システムがあったにもかかわらずです。
2018年には、「摩傘(モーサン)」という傘のシェアビジネスが上海などで始まりました。基本は「Sharing E Umbrella」と同じ仕組みですが、デポジットを高くして傘の返却場所を設置しました。その後、中国では、他にも数多くの傘のシェアリングサービスが起業されましたが、今のところ、大きな成功には繫がっていないようです。要因としては、(1)天候に大きく作用される、(2)雨が降ると駅前で安価な傘が売り出される、(3)晴れた日に傘を持って返却するのは面倒、などが考えられます。