街の奥底に横たわる、獣のような性犯罪
──売買春地域をつくり、一般女性や子どもを米兵の性暴力から守るという、終戦直後から喧伝された「性の防波堤論」がありますよね。それが今でも地縛霊のように沖縄社会を縛っていて、新町がなくなると米軍の性犯罪が増えるのではないかという意見をあちこちで私は聞きました。それをどう思われますか?
「当時は、戦争で家を焼かれ、住むところも食べるものもなく、沖縄戦で男の数は3分の1にまで減少してしまう中で、生きる手段として売春をせざるを得なかった女性が大半だったと思います。だから一般の女性たちを米軍の凄まじい性暴力から守るために、一部の女性を防波堤にしようという発想が生まれたのです。性の防波堤にされた女性たちの大半は、生きる手段として売春をせざるを得なかったのです。買春は暴力ですから、新町がなくなることはいいことだと思います。性の防波堤としての機能はまったくといっていいほど果たされてこなかったのではないでしょうか。1995年に起きた女子小学生強姦事件(編集部注:米兵3名が女子小学生を拉致し、集団強姦した強姦致傷および逮捕監禁事件)の犯人の米兵たちは、『売春街に行こうか』『あそこは薄暗くて汚くて、自分の貧しい子ども時代を思い出すからいやだ』と会話していることがわかっています。それに、復帰前も復帰後も新聞記事に載っただけでも膨大な米兵の強姦事件がありますから、売春街がなくなると米軍犯罪が増えるのではないかという懸念はまちがっている」
高里は、「性の防波堤」どころか、逆に性犯罪を誘発しているのではないかという指摘をした。1995年の米兵による小学生暴行事件の加害者の心理に、売春街のネガティブなイメージが影を落としていたとは知らなかった。
高里の主張は買春は暴力であるという視点で一貫している。沖縄の戦後を「生き延びた」特飲街は、その暴力が行使される場であったのだから、なくなることはいいことだと断言した。2000年以降数年間の官民一体となった運動によってこの街はあっけなく消えたが、それらの街の歴史の奥底に、獣のような米兵による性犯罪が横たわり続けたことは間違いない。それは実は現在も途絶えることがないのである。それを記録し、告発し続けた高里らの地道な活動がなければ、いまだ終わらぬ「レイプの軍隊」の実態がクローズアップされることはなかっただろう。
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