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メジャーリーグで大活躍するオオタニサン、その原動力のルーツを探る

大谷翔平を育てた場とは何か

2021/06/04
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早いカウントで振らせてアウトを取っている

 そんな大沼も、2008年、2009年は西武の中継ぎとしての才能を大きく開花させ、ブルペンとして2年連続50試合登板を果たします。2009年には15ホールドをマーク(4勝7敗1セーブ)するも、西武が誇る先発陣、西口帆足岸涌井石井ワズディンの勝ち星を順調に消していったのはいい思い出です。

 後からデータ分析が進み、実は大沼幸二は持ち味の剛速球のストレートで打者を討ち取っているのではなく、むしろ速いストレートを見せ球によく分からないスライダーらしきボールで早いカウントで振らせてアウトを取っていること、むしろ中継ぎ適性はなくスイングマン的なロングリリーフや6回ぐらいで降りる先発投手として能力を発揮する選手だったように見えることが特徴でありました。ただ、残念なことに当時の西武は先発の駒が揃っており、制球難の大沼が前(先発)を投げることは西武首脳陣の頭の中にはなかったのではないか、と思うのです。

 大沼が先発投手の勝ち投手になる権利を消すたび、渡辺監督が「(大沼を)使った俺が悪い」と言い、髪が抜け、しかし調整登板のために二軍送りになる大沼は二軍で無双をして復調し、これは一軍で使いたいと思って登板させてみると大炎上し、出ていたランナーはだいたい帰す、そして渡辺監督が「(大沼を)使った俺が悪い」とコメントするという、タイムボカンシリーズのような予定調和がそこにあるのです。

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いまなお語り継がれる2009年9月16日ロッテ-西武戦

 むしろ、現代野球のようにデータ分析全盛な状況となれば、もっといい具合に大沼を使いこなすことができたのではないか、と残念に思うのは私だけでしょうか。

 そして、栄光の大沼伝説はいまなお語り継がれる2009年9月16日ロッテ-西武戦。千葉ロッテ・大嶺、西武・許の両投手力投で2対2同点のまま9回裏マウンドに上がったのは大沼幸二。先頭の福浦に大沼は「俺が大沼だ」と言わんばかりのフォアボール。続く4番井口に「申し訳ない、挨拶不足だった」とデッドボール。一、二塁となって、続く大松がなんと送りバントで一死二、三塁。ベンチでハイタッチで迎えられる大松。しかし「塁が埋まってないと調子が出ない」とでも言いたいのか、6番里崎にも敬遠四球でついに一死満塁。

 まさに大沼の見せ場、迎えるバッターは前の打席で代打に出てきていたベニー。最高に見ごたえのあるこの場面で、初球。

 外角ボールゾーンから外角ボールゾーンに流れるクソスライダーが地面に叩きつけられ、土埃とともに跳ねたボールを捕手上本が捕球できず、ボールは転々とバックネットへ。

 大沼のサヨナラ暴投によってこの投手戦は完全にぶち壊され、ロッテナインから歓喜と共に迎えられた代走・早川。勝ち投手はシコースキー。ヒーローインタビューでお立ち台に呼ばれたベニーは「俺は何のためにここに呼ばれたのか分からない」。すべてがガッチリと組み合った演劇のような試合は、大沼の見事な独り相撲で幕を閉じました。