「高ければいい」という認識は間違い
とはいえ、一概に高級なものであればいい、というわけでもないらしい。
「あまり手入れをせず、屋外に駐車している場合だと、高いコーティングで何年も放置するより、短いスパンで安いものを施工する方がよかったりしますね。高ければ何もしなくても長持ちするわけじゃないので、メンテナンスをしないのであれば、安いものでも定期的に新しい層を塗ってあげた方が綺麗に維持できるケースもあります」
結局のところ、保管環境や手入れの頻度などにより、最適な選択肢は異なるということである。「高ければそれだけ効果が続く」という客側の認識、あるいはその認識を正すための店側の情報提供の不足が、コーティングをめぐるトラブルの一因となっているのだろう。
客側が求めているのは「コーティングの効果」ではない?
一方で、客側の漠然とした「コーティングをしておけば常にピカピカにできる」というイメージが、コーティング業界を成り立たせているという側面もありそうだ。以下の指摘が興味深い。
「コーティングをしている事実が欲しいって側面もあるのかな、と思います。まだコーティング層が全然綺麗なのに、高いメニューを依頼してくるお客さんも結構います。言うんですけどね、『まだ全然大丈夫ですよ』って。それでもやってくれと言うので、一旦前のを剥がして、また施工しますけど。なんとも言えない感じです。反対に、コーティングが跡形もなくなってるような状態で、研磨を提案しても『あぁ、コーティングしてあるから大丈夫だよ』っていうパターンも多いです」
客側が求めているのが実質的な効果ではなく、コーティングの事実そのものであるという話は、なんとも皮肉である。
「自分は何を売ってるのかな?とたまに思いますね。もちろんこの業界長いし、依頼を受ければ満足してもらえるよう仕上げる自信はあります。でもふと、『このお客さんの満足のために、自分の技術は必要だったのかな』って」
もちろん、このスタッフの技術によって愛車が長く綺麗に保たれ、満足を得た客もいるのだろう。しかし一方で、「車に最上級のケアをしている」という事実そのものに価値を見いだす客も少なくないと考えられる。
たとえば看板だけ立派で技術はお粗末なコーティング店が存在したとすれば、ある意味で需要と供給はぴったり符合するわけである。ぼったくる側とぼったくられる側が築くwin-winの関係。それは案外、ステータス性を重んじる世界の常態なのかもしれない。