「渋谷からギャルが消えました」「こうやって時代が終わるんだ」と語るのはギャル雑誌『egg』編集長の赤荻瞳さん。全盛期には50万部発行することもあった『egg』だが徐々にギャルが減少し、2014年に休刊。2018年には赤荻さんを中心に立ち上がり、『egg』を復活させた。
そんな赤荻瞳さんは消えたと思っていたギャルがある場所にたくさんいたことを気づいたという。ギャルのいた場所や令和のギャル事情について詳しく話を聞いた。(全2回の2回目/#1を読む)
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――ギャルがどんどん少なくなってきている中で『egg』がギャルにこだわり続ける理由ってなんでしょうか?
赤荻 私が高2の時に『egg』が休刊して、渋谷からギャルが消えました。ギャルはもういないんだ、こうやって時代が終わるんだってすごくショックだったんです。だけど『egg』が復活した時、地方にはまだまだたくさんギャルがいたということに気づいたんです。SNSで『egg』の復活を待っていた多くの女の子は地方の子たちでした。渋谷に来れなくてもちゃんとギャルを続けていてくれていたんです。田舎のお祭りとか必ずギャルがいますよね(笑)。今の『egg』モデルたちも地方出身の子が多いです。一番人気のあるモデル・きぃぃりぷも茨城出身です。全国にいるギャルたちのためにも『egg』はギャル雑誌で居続けようって強く思いました。
――『egg』の編集長として新しく作っていく中でプレッシャーはありましたか?
赤荻 プレッシャーはあまりなかったです。『egg』を復活させるにあたって重要なことは、良い雑誌を作りたいって気持ちだけじゃなくて、今のギャルに寄り添うことだなと思ったんです。彼女たちを一番わかってあげられるのは同世代の私だと思っていたから自信がありました。もちろんこれまで『egg』を作ってきた方々へのリスペクトの気持ちはずっと持っています。
――『egg』が復活してからいろんな声もあったと思いますが、どう感じていましたか?
赤荻 「これはギャルじゃない」とか「前の『egg』の方が良かった」という声も結構あったんですが、全く気にしていなかったです。ギャルはこれです! って決められないので、ありのままの姿を見せることを大事にしています。『egg』にはいろんなギャルがいるので、多様性を認め合っていくのが大切だと思います。
モデルたちにも「うちらはうちらでやろう」って伝えていました。「それギャルじゃないよ」って否定するよりも「それ新しいね! 」とか「そのメイクもありだよね」って肯定した方がギャル文化は広がると思います。