――持ち時間は限られている中、勝負の分かれ目は先だと思うと、必然手で手を止めないのが人間や勝負の合理性ですし。
佐藤 対局者の感覚はちょっと違うでしょうけど、あれを見た瞬間にきれいな手だなと思いました。横歩取りをたくさんやってきて、あまり見たことがありません。あの一手は、見たときの驚きを素直に受け止めていい気がします。
藤井王位・棋聖には、絶妙手が生まれる局面に出会う力がある
▲4一銀は藤井君の全盛期じゃないと見つけられない手、ではないんですよ。平常運転で安定して見つけられる手じゃないでしょうか。それは彼の能力の高さです。あと、ああいう局面に出会う力があるんですよ。定性的な考えかもしれませんけど、ああいう手が有力な局面に普通はなかなか出会えない。自分が出会っても見つけられていないだけかもしれないんですけどね。
――絶妙手が生まれる局面に出会う力、ですか。双方が最善を尽くした、妥協せずに突っ張り合った先で生まれたものでしょうか。あの展開でどちらも崩れないまま終盤を迎えるのは、容易ではないと思います。
佐藤 こじつけかもしれないけど、相手が「藤井君には突っ張らないと勝てない」と思っていて、そういう展開になりやすいのかもしれない。藤井君からすれば、際どくて、美しいとも感じられるぴったりとした手がないと勝てない局面に追い込まれやすくて、でもそれを見つけられる能力があるからこそ出会いやすくなっているのかもしれません。
どういう力学で美しいと思わされているのだろう
――何を美しいと思うかは価値観によるので、大きなテーマだと思います。佐藤九段の中で美の変遷はありますか?
佐藤 私自身の美意識はあまり変わってないかもしれません。私は自分が何を美しいと思っているのだろう、そしてどういう力学で美しいと思わされているのだろうというのが気になりますね。
例えば、音楽だって作曲家が闇雲に書いているわけじゃない。一曲を構成するには、メロディーのセンスだけではなく、つなぎのシステマティックな部分、純粋な計算能力が必要なんですよ。例えば、よいメロディーがあるけど、それを押し過ぎるとくどくなるから、ここは落ち着かせよう。でもそれを続けると退屈だから、もとのよいメロディーにそろそろ戻るかな。でも、つなぎの部分に新味がないと同じことの繰り返しになってしまうし、どこで戻るかは曲を作り始めるときに考えておかないといけない。行き当たりばったりだと、転調しても元の調にうまく戻れないこともありますから。
その諸々をクリアして、初めて曲ができる。でも、聞く人間はそこまで意識せず、直感的に「美しい」とか「かっこいい」とか思うわけですね。私はそのカラクリに興味があります。