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 で、ようやく話が戻るんですけど(笑)、▲4一銀が感動を呼ぶのも似ていると思うんですよ。見た目の鮮烈さ、そしてそこには理屈がちゃんとある。後手玉を右側に将来に逃がすとだめで、単純に飛車を取ると間に合わない。普通はそれで相手の囲いの意図通りの展開になってしまってだめなんだけど、自分の飛車が右側にいる一瞬だけは建築意図を裏返して打破できる。銀を渡しても自玉は大丈夫。そういう要素をすべて満たした手が▲4一銀で、コルビュジエの柱のように理論が見える化しているわけです。

芸術に必要なものは圧倒的な計算力

――昨年に発売された『Number(ナンバー)1010号「藤井聡太と将棋の天才」』で中村太地七段と対談され、「芸術に必要なものは圧倒的な計算力」だとおっしゃっていましたね。

佐藤 そうです。藤井さんはこのような難解な局面を計算で割り切れるからこそ、絶妙手を指せるんです。モーツァルトも計算力や記憶力があるからこそ、誰が聞いても自然な曲を数日で作れたそうなんですよ。計算力がないと芸術はできないのかといわれたら、もちろんそうではないんですけど。

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――計算力があればあるほど絶妙手を指せる、つまり強い棋士ほど美しい手を指せるということになります。

佐藤 色んなシチュエーションで、たくさんの要素をすべて解決しないといけませんから。逆にいえば、解決すると美しくなりがちなわけです。でも将棋は性質として、美しく見えるようなゲームなのかもしれません。▲4一銀も△7七同飛成(2018年の竜王戦▲石田直裕五段-△藤井聡太七段戦で指された絶妙手で、将棋大賞の升田幸三賞を受賞)も場当たり感がなく、あの手で相手をレールに乗せています。ああいう絶妙手があるからこそ、一局が腑に落ちやすいんですよ。将棋に限らず、理屈は分かったけど美しくないということもあるじゃないですか。

――勝着が▲4一銀や△7七同飛成のように駒を捨てる派手な一手ばかりではないですしね。

佐藤 将棋はいい意味で人にインパクトを与えやすいゲームかもしれません。もともと全体の駒の数は決まっていて、そのなかで戦力を増していったほうが勝ちやすいのは誰の目から明らか。どの駒の価値が高いかもわかりやすい。それに逆行するかのように、▲4一銀はなかなか価値の高い銀をただ捨てするから、視覚的に衝撃が伝わりやすいですよね。これがすべての駒が同じ価値だったら「飛車が取れたのに銀を捨てるのか!」と盛り上がることができませんし、「そもそも最終ターゲットは玉じゃない」となると目標物が分かりにくくなるでしょう。こういったゲームのルールが将棋の固有性と美しさを生み出し、人々を惹きつけてきたんじゃないかと思います。

写真=松本輝一/文藝春秋

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