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「神のお告げ」グリーンウェル、「浅草観光」ミセリ…プロ野球界の記憶に残る“トホホ助っ人”列伝

2021/06/20
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 オリンピックを前に「海外選手の来日」がクローズアップされる昨今。異国の地で開催される大会で実力を発揮する難しさは、もしかしたらプロ野球界が一番よく分かっているのかもしれない。「助っ人選手」の活躍が各チームの命運を握っているからだ。

 1936年に日本プロ野球が始まった時点で「外国人選手」は存在していた。そもそも野球はアメリカ由来のスポーツだから、外国人選手がいるのは自然なことだった。以来、85年、日本とアメリカが戦争していた時代も含めて、外国人選手が日本プロ野球から消えることはなかった。

バースら華々しく活躍した助っ人の陰には数々のドラマが…… ©️文藝春秋

 三冠王を取ったランディ・バース、ブーマー・ウェルズなど成功した外国人選手もたくさんいるが、その陰で鳴かず飛ばずの「トホホ」な外国人選手もたくさんいた。外国人選手は1000人を超えているが「トホホ」な外国人の方がはるかに多い。今回はそんな「トホホ助っ人列伝」だ。

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「アキレス腱痛で欠場」したのに六本木のディスコで踊りまくっていた男

 ジョー・ペピトーンはヤンキースで一時期は「ミッキー・マントルの後継者」と言われた外野手。ゴールドグラブを3回受賞。めっぽう勝負強く7本の満塁本塁打を打った。ヤクルトは1973年、このペピトーンの獲得を発表した。

ヤンキース時代のペピトーン。ゴールドグラブを3回受賞した一方で、プレイ以外の面で目立つことも…… ©️AFLO

 しかし球団は、もう少し彼の身辺調査をすべきだっただろう。王貞治と同じ1940年にニューヨークのブルックリンで生まれた都会っ子のペピトーンは若い頃から「野球よりもナイトライフに情熱的」と言われ、大きな負債も持っていた。また乱闘騒ぎをしばしば起こした。

 1973年6月に来日したペピトーンは23日の巨人戦で一塁手として出場し新浦壽夫から決勝タイムリーという上々のデビュー。28日の広島戦では外木場義郎から初本塁打。球団は喜んで6月30日の中日とのダブルヘッダーを「ペピトーンデー」にするが、当のペピトーンは第1試合で4タコに終わると2試合目を前に球場を後にし、アメリカに帰ってしまった。

 球団職員が問いただすと「離婚裁判がある。終わったら帰ってくる」とのこと。8月に帰ってきたが、今度はアキレス腱が痛いと言って欠場。しかし六本木のディスコで踊りまくっているのを発見され、評判は地に落ちた。2年契約だったが1年目はわずか14試合の出場、2年目は結局来日せず。

 ペピトーンは引退後も薬物騒動や暴力事件を起こしている。アメリカのMLB選手データベースには「日本では“最悪の外国人選手”と言われている」と記されている。