「明日は先発だ」「任せておけ」…で、球場に来なかった男
前評判がほとんどないまま来日し、活躍せずに消えた「トホホ外国人」は枚挙にいとまがないが、1974年4月に入団したバル・スノーほど「何もしなかった」選手は珍しい。
スノーは1966年、67年とメッツ、インディアンス傘下のマイナーで投手としてプレーしたが通算2勝10敗、防御率6点台。来日当時は大学野球部のコーチをしていたとのことだが、日本ハムのテストで合格。中西太新監督以下首脳陣の期待は高く、何とエース背番号の「18」をもらった。二軍で調整を続け杉山悟二軍監督が「明日は、二軍戦で先発してもらう」と告げると、スノーは「任せておいてくれ」と力強く答えたが、翌日球場には姿を現さず。
1か月目の給料をもらっただけで、姿を消してしまった。スノーは公式記録を一切残すことなく、まさに「雪のように」消えてしまったわけだ。
阪神球団史上最高額! 満を持してやってきたグリーンウェル
トホホ外国人といえば「阪神タイガース」の話題が多い。筆者が思うに、これは「ランディ・バースの呪縛」だと思う。1985、86年と2年連続で三冠王を獲得し、チームの21年ぶりの優勝にも貢献したこの選手の印象があまりにも強烈で、ファンの「外国人選手」の期待度のハードルが跳ね上がってしまったのだ。阪神ファンが失望し、罵声を浴びせた選手を見ていこう。
バースが阪神を去って6年。1994年、MLB通算226本塁打のロブ・ディアーが阪神にやってきた。三振かホームランかの荒い打者ではあったが、高知県安芸の春季キャンプでは特大の一発を左中間に叩き込んだ。驚いた球団は急遽、左翼外野席の奥にネットを張った。ファンはこれを「ディアーネット」と呼んだが、いざ開幕してみるとバットにボールが当たらず三振の山を築き、結局70試合で8本塁打。三振数は試合数を上回る76を記録して1年で退団した。
3年後の1997年。次こそはと満を持して阪神に来たのが、マイク・グリーンウェルだった。
レッドソックス生え抜きの外野手としてオールスター2回出場、通算打率.303という成績を引っ提げて来日。200万ドルの3年契約は当時、阪神球団史上最高額だった。
しかし安芸キャンプの施設が気に入らなかったようで、わずか10日で「背中に痛みが走った」と帰国。
4月30日に再来日し、5月3日の広島戦で2安打2打点、続く4日も2安打2打点と活躍し、吉田義男監督らを安堵させたが、10日の東京ドームの巨人戦で自打球を当てて右足甲を骨折。グリーンウェルは「これは“野球から身を引け”という神のお告げかもしれない」と言い出した。球団は慰留したが、聞き入れず14日に引退記者会見が行われた。
実はグリーンウェルはアメリカでアミューズメントパーク事業を始めていて、春先の帰国はその打ち合わせのためだったという説もある。出場わずか7試合。200万ドルの年俸は返還されなかった。