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大島康徳さんが語った“難敵江川卓”を攻略したあの一戦――ドラゴンズよ、“負くっか魂”で甦れ!

文春野球コラム ペナントレース2021

 大島康徳さんが亡くなった。

「病気に負けたんじゃない 俺の寿命を 生ききったということだ」(大島康徳公式ブログ「この道」より)

『週刊ベースボール』に「大島康徳の負くっか魂!!」というコラムを連載していた大島さん。2016年10月にステージⅣの大腸がんが見つかり、「余命1年」と宣告されながら、持ち前の「負くっか魂」で野球解説も続け、それから4年以上も精力的に活動。「ボクには病気と戦っている気持ちはまったくない」と語っていたが、どんな状況でも自分らしく生き抜くことが、がんに負けないこと。最後まで自然体だった大島さんは、まさに「俺の寿命を生ききった」のだ。

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 ドラゴンズ時代(1969ー87年)の大島さんというと、私のイメージは「一発長打の大島君」(板東英二「燃えよドラゴンズ!」)である。ここぞ、という場面でホームランや長打を打ってくれる、勝負強いバッター。チームが順風満帆なときよりむしろ、逆境に置かれたときのほうが力を発揮するタイプだった。

 その最たる例が、1982年9月28日、ナゴヤ球場で行われた中日―巨人戦だ。今回あらためて思い返しているファンも多いと思う。シーズン終盤、直接対決3連戦の初戦。「野武士野球」を掲げる近藤貞雄監督のもと、中日は試合前の時点で首位・巨人に2.5ゲーム差の2位につけていた。しかもこの試合、中日が勝つと2位ながら「マジック12」が点灯するという状況。逆転Vのためには、絶対に負けられない一戦だった。

 実はこの試合について、大島さんに直接振り返っていただいたことがある。私が以前構成を担当していた中京テレビ『スポーツスタジアム』のVTR企画で、放送日は2005年9月4日。落合博満監督率いる中日が、阪神と熾烈な優勝争いを繰り広げている真っ最中だった。

 あのとき、巨人に競り勝った先輩たちの戦いぶりを振り返ることで、2005年当時の竜ナインたちにハッパをかける意味合いもあった。大島さんも「そういうことなら」と快諾。今回、追悼も兼ねて、あのとき大島さんが語ってくれた言葉を再録する。

 ディレクターが持参した試合のVTRを見ながら、当時のことを思い出し、真摯に語ってくれた大島さん。ドラゴンズを離れて、そのときで18年経っていたが、古巣への愛情は何ら変わっていなかった。

 Bクラスに低迷する今のドラゴンズナインにも、大島さんが伝えてくれた「常に前を向き、諦めない心」を噛みしめてほしい。

中日時代の大島康徳さん ©文藝春秋

野武士軍団から学んだ「物事は簡単に諦めちゃいけない」

「今を逃せば、もう何年か先にしか、優勝のチャンスは巡って来ないだろう。今(ペナントを)獲ろうじゃないか!」

 当時、チーム全体がそんな雰囲気になっていたという大島さん。この試合には、五番でスタメン出場した。

 意気揚がるドラゴンズナインの前に立ちはだかったのが、巨人のエース・江川卓である。江川はその時点ですでに18勝。中日戦は5勝2敗で、5完投勝利・3完封。江川にしてみれば、お得意さんの中日にとっとと引導を渡し、20勝に王手を掛けよう、ぐらいの気持ちだっただろう。

 中日の先発はアンダースロー・三沢淳。初回、原辰徳に3ランを浴び、中日は7回ウラを迎えた時点で1-6と、5点を追う苦しい展開だった。一方、江川は見下ろしのピッチングで中日打線を手玉に取り「19勝目、いただき」と思っていたはずだ。

 そんなエースの心のスキを、大島さんは見逃さなかった。左翼席に、反撃のノロシを上げるソロ本塁打。7回は結局1点だけにとどまったが、この一発が後で効いてくる。

 試合は2-6と4点差で9回へ。ここまで4安打ピッチングの江川は完投勝利を確信してマウンドに上がった。近藤監督は、“江川キラー”こと豊田誠佑を代打で起用。豊田は甘いカーブをとらえレフト前へ。すると三番・モッカがライト前、四番・谷沢健一もレフト前と3連打で無死満塁。ナゴヤ球場は割れんばかりの声援に包まれた。

 一発出れば同点、という絶好機に打席に立った大島さんは「体中が熱く火照るのを感じた」という。高目の真っ直ぐをとらえると、打球はセンターへ。あいにく正面だったが、犠飛となり豊田が生還、これで3-6。まだ3点差だが、江川から1点もぎ取ったことでチームは乗った。7回の本塁打がノロシなら、9回の犠飛は、導火線に火をつける一打だった。

 続く六番・宇野勝がレフトにタイムリー、七番・中尾孝義がライト前に2点タイムリーを放ち、ついに6-6の同点。あれだけ牛耳られていた江川から、土壇場で一挙4点を挙げて追い付いたのだ! 当時高1の私は部屋のラジオで実況を聞いていたが、そのまま巨人が勝つものだと思っていた。その瞬間、「うおぉ!」と鳥肌が立ったのを覚えている。やはり物事、簡単に諦めちゃいけないことを、私は野武士軍団から学んだ。

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