悲しい出来事に幸せが勝てる物語は、人間にとって必要
――「悲しい出来事に、幸せな出会いが勝ったんだよ」というセリフが『ひよっこ』にありましたが、悲しい記憶を幸せな記憶によって克服するということはあるんでしょうか。
糸川 僕の専門である精神医学の世界では、疾患の原因になる出来事が「転落」や「挫折」ではなかったんだ、とストーリーをアップデートする作業も必要なんです。たとえば順調に仕事をしてきたサラリーマンが、急病で倒れて出世の道を諦めなければならなくなったと。単純にはこれ、挫折であり不運としか言いようのない事故だと思うんですが、もしそのおかげで家族との時間が増え、人生が本人も思いがけない形で充実したのだとしたらどうでしょう。急病のおかげで家族が取り戻せた、というストーリーにアップデートされるわけです。都合がいいと思う人がいるかもしれませんが、人生の急転はそういう「意味あるストーリー」として語れるようにならないと、逆にいろんな精神的症状が出てしまいがちです。たとえそれが楽観的すぎると思われても、悲しい出来事に幸せが勝てる物語は、人間にとって必要なものなんです。
――『ひよっこ』のために医療監修者として、どれくらいの論文を調べたり、読んだりしましたか?
糸川 いやあ、どれくらいだったかなあ……。スタッフの方には専門的な論文もけっこうお渡ししましたけどね。基本的に研究医というのは論文と研究の毎日です。僕は朝型人間で、毎日早朝5時には研究室に来るんですが、まずパソコンを立ち上げて、自分の研究テーマが他の研究者に追い抜かれていないか、論文検索から1日が始まるんです。これは医学に限らず、理工系はもちろん人文系の研究者にも同じような習慣があると思いますが。
基礎研究の充実なしに日本の科学研究の裾野は広がらない
――激しい競争の世界だからこそ起きてしまった一つの事件が、STAP細胞捏造の一件だったと思います。
糸川 あの事件が投じたものは大きいですね。まさに「万能細胞」というものがそうですが、最近は新薬や新治療法の開発という研究の最終的な「出口」、いわゆる成果ばかりが追い求められ、国の助成金もそうした応用研究に配分されがちです。その成果主義的な風潮が、ああいった勇み足を生んだんだろうと感じています。ノーベル生理学・医学賞を受賞された大隅良典先生が仰っていますが、国はもっと基礎研究の分野に薄く広く予算を配分しないと、日本の科学者は芽を出せないままになってしまうと思います。
――基礎研究を続けておられる糸川さんとしても、そう感じられますか。
糸川 僕が研究の道に入った30年くらい前は「この人何やってんのかなあ」と思う、ずーっと顕微鏡覗いているような“万年助教”みたいな人がたくさんいたんですよ(笑)。でも、そういう方々ができの悪い大学院生の面倒を見てくれて、ある日突然『ネイチャー』に掲載されるような論文を書かせちゃったりするんですよね。基礎研究はそうした人材育成込みの、長いスパンでの分野ですから、昨今の「成果主義」の流れにはそぐわないのですが、基礎研究の充実なしに日本の科学研究の裾野は広がらない。その思いを、日に日に強くしています。
統合失調症の母と認知症の父の教え『ひよっこ』医療監修者の“哲学” に続く
写真=鈴木七絵/文藝春秋
いとかわ・まさなり/1961年生まれ。分子生物学者・精神科医。埼玉医科大学卒業。現在、東京都医学総合研究所・病院等連携研究センター・センター長を務めている。ドーパミンD2受容体の遺伝子多型を世界で初めて同定し、統合失調症との関連を確認した統合失調症研究の第一人者。著書に『臨床家がなぜ研究をするのか』『「統合失調症」からの回復を早める本』『統合失調症が秘密の扉をあけるまで』『科学者が脳と心をつなぐとき』などがある。