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 だとすればどうして、男性の性のありようを探るテーマとして「童貞」を選んだのか。男性は誰もがもれなく童貞期を過ごすからで、童貞を研究すれば男性の性について普遍的なことをいえると考えたためである。 

 では、男性の性について、どんな普遍的なことがいえたのか。あらためて考えてみたい。 

 書籍『日本の童貞』の結論部では、「童貞に好奇の視線をそそぎ、童貞であることに恥じらいをおぼえるような、そんな社会とはいかなる社会なのか?」という問いに答えを出している。それにたいして、次の四つの解を示した。「恋愛とセックスが強固にむすびついている社会」、「「正しい童貞喪失」の基準が設けられた社会」、「基準から外れた童貞は、その「原因」が追求され、「病人」として扱われる社会」、「男性が女性に値ぶみされる社会」である。 

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 これにもとづいて、さらに、12年を経た現在(編集部注:書籍の初出は2003年。本稿は2015年刊行の文庫版より引用・再構成したもの)の所感を加味して、男性の性についての普遍的テーゼを示すならば、「セックスにかんして、男の首を絞めるのは男である」というものになる。 

 めんどうな基準を設定し、セックスにかんして劣位の者を作り出してコキ下ろしたり、病人あつかいしたりする。そのためには、女性も利用する。新書執筆時にはよく分かっていなかったが、女性がいっているのではなく、非童貞男性が、女性を使って、「童貞はキライ」と言わせているのが本当のところだろう。80年代の青年誌の編集部に多くの女性がいたとは思えず、記事を書いたのも、それを通したのも、ほとんど男性と推定されるからである。また、「包茎の男って不潔で早くてダサい!」などと80年代の雑誌で女性にいわせていたことを、包茎治療で一儲けした高須克弥が告白している(『週刊プレイボーイ』2007年6月11日号)。童貞についても似たようなことがあったと見るのが妥当である。 

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「セックスにかんして、男の首を絞めるのは男である」。男の性のありようは、暴力的だし、自由じゃない。平和で自由な性をのぞむ男性は、それを許さない男性と話し合うべきだ。「お前のやり方は間違っている」と。 

2000年代初頭、童貞の価値についての変化

 2003年の刊行後、童貞の価値はどのように変化しただろうか。 

 『日本の童貞』の最終章では、クエスチョンマーク付きながらも、「童貞の復権?」とみられる事象を紹介した。1990年代半ば以降、「カッコいい童貞」の像を掲載する雑誌記事が登場し、「童貞喪失をあせる必要はない」とのコメントが付されるようになった。みうらじゅんと伊集院光による『D.T.』(2002年)が、肉体的に非童貞であっても精神的に「童貞」である男性はいると主張、性経験の有無に過剰な意味を見だすことに疑義を呈したのも、画期的だった。