いわば、「童貞の末路はハッピーエンド……では?」という含みを持たせて本書は終わっている。
「誰もが童貞に無関心な社会」はまだ遠い
だが、現実はどうか。
詳しくリサーチをしたわけではないが、「童貞=恥」論がふたたび猛威をふるっているように、筆者には見える。とくにネットの世界で顕著で、「童貞」は差別用語となっているようだ。ためしに、今、「童貞のくせに」でグーグル検索すると、60万1千件がヒットし、「童貞のクセに性欲無いアピールする奴WWWWWW」、「童貞のクセにペット飼ってる奴wwwwww」といった掲示板のスレッドが並ぶ。童貞は性欲がないといってはならず、ペットを飼ってはいけないらしい。ひどい差別ではないか。
D.T.概念を提唱したみうらじゅんは、若い女性歌手と不倫をし、子どもができて離婚した。女性にたいしてオクテなのが D.T.ではなかったか。D.T.概念のすばらしさを大学の講義もふくめてあちこちで説いて回っていたが、この一件で説得力がなくなり、取り上げるのをやめた。やはり、性経験の有無を不問に付すなどということは、不可能なのか。
童貞をおもしろおかしくフューチャーする記事は生産されつづけ、筆者にもコメント依頼が来たりする。童貞を貶める態度を批判したのが『日本の童貞』なのに。「童貞をいじろうとする記事の作りそのものがおかしい」と主張するのもまた社会改革と、しばらくはがんばって依頼を受けつづけた。が、ある時、イヤ気がさした。「童貞」をネタに騒ぎたい人たちが大勢いるなかで、自分があまりに無力であることを悟ったためである。
童貞をテーマとしたテレビ番組への出演依頼があったが、意に沿わない内容になることが分かっていたので、断った。オンエアを確認すると、予想どおり、構成から事実関係まで本書の内容をほぼそのままなぞりながら、童貞をいじる内容だった。まさに簒奪。しかも、番組最後のテロップにあたかも筆者が協力したかのような記載がある。私はいっさい協力などしていないし、こうした番組の作りを容認していない。かつて人気を博した『カノッサの屈辱』のパクリではないかという指摘もある、テレビ東京の『ジョージ・ポットマンの平成史』という番組だ(現在は放映終了)。
だから、このたび『日本の童貞』を読み返して、若干、ほろ苦い気持ちになることも事実。この本で社会を変えることができなかったという、敗北感とでもいおうか。もっとも、たった一冊の本で社会を変えようという考えじたいが大それているわけだが。それこそ、「まるで童貞の発想だな!」と嗤われるかもしれないが。
ともあれ、社会は少しずつ変わるもの。ときにはバックラッシュあり、それにたいするカウンターありで、一進一退しながら姿を変えていく。読者のなかから、「誰もが童貞に無関心な社会」をつくることに共感し、その企図に加わってくれる人が幾人かでも出てくれば、これほどうれしいことはない。
【前編を読む】「気持ち悪い」から「あせるな」へ…“童貞”をめぐる言説が男性に与えた“知られざる影響”