11月4日付東京日日(東日)は「剣道初段の日大生 強盗に刺殺さる 出刃に怯(ひる)まず格闘」、読売も「本郷の殺人強盗 犯人は土地に詳しい者? 數(数)日前からつけ狙ふ(う)」の見出しで、記事も中心部分はほぼ同内容。
読売は見出しにある通り、近所の人の証言として、事件直前に何回も不審な男を見たとし「その人相が母親はまさんの見た犯人のそれとぴったり符合するので、相当以前から同家の事情を知ってつけ狙っていたものであることが分かった」と書いている。記者が刑事や近所の人から断片的に話を聞き、想像を交えてつなぎ合わせた可能性が強い。いまならとんでもないことだが、そのころの新聞記事、特に事件記事はその程度のものだったのだろう。被害者一家についての記述もある。
被害者は「明朗快活なスポーツマン」
同(貢)君は目下樺太東海岸敷香で病院を営んでいる徳田寛氏の長男。福島県平町で育ち、磐城中学を途中でやめて上京。4年前、父は樺太へ。貢君は東京で中学を終えて日大歯科に進み、最近一家全部東京に移ることになって、さる8月、母親と弟妹が上京。本郷に居を構え、近く樺太から病院を閉じて上京する父君を待ちわびていた。貢君は学校でも自宅でも明朗快活。スポーツマン特有の無邪気さで友人に愛されていた(東朝)。
事実と異なる点もあるが、同様に一家の事情に触れている読売の記述もあまり変わらない。
樺太は現ロシア領サハリン。日露戦争の結果、北緯50度以南が日本領になっていた。地元紙「樺太日日新聞」も11月5日付夕刊に「敷香の徳田病院子息 東京で殺害さる」の見出しで【東京電話】の記事を掲載。貢について友人が「性格は温順だが熱血漢」などと語っている。
東朝は4日付朝刊も「日大生殺し強盗 大捜査を嘲笑」の見出しの記事を掲載。「唯一の手がかりとみられていた犯人遺留の出刃包丁は、勝手元の流しに捨ててあったが、家人が水道の水を使ったため、洗ったも同様となって、ついに指紋も取れず」と捜査の難航を見通した。