「僕は死ぬかもしれない」
新聞は一斉に保険金殺人の方向に走り、捜査の進展に先行してさまざまに書き立てた。「實(実)父が疑問の注射」(東朝)、「保険六萬六千圓 既に受け取り済み」(東日)、「不行跡の末 樺太へ移つた父 はまは看護婦上り」(読売)……。
極め付きは12月18日付読売朝刊だろう。「謎深し日大生肉親殺人事件 怪奇呪われた一家 無軌道な父、有閑マダムの母、不良學(学)生貢」の見出しで、被害者と父母の不行跡を記述。「ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』一家に見るごとき暗い運命から、こうした肉親殺人事件が生まれたのではないか」と書いている。「亂(乱)脈・徳田家の全貌」という別項の記事では栄子を加えた4人の経歴、言動、性格などを詳しく伝えている。
18日付朝刊には東朝、東日、読売の3紙とも「死の予言」を聞いたという女性の証言が登場する。「奇しき死の豫(予)感」の見出しは読売。
「殺害された貢君が3年間、なじみを重ねた浅草区新吉原揚屋町20、君津楼支店抱え娼妓、中将こと高橋まさえ(23)の口から、はからずも死の1カ月前、残した気味悪い謎の言葉が分かった」。「徳田さんは9月6日の晩は妙に沈んで『世の中がつまらなくなった。僕は死ぬかもしれない』『せめて線香の1本も上げてくれ。もし生きていたら、もう1回来るから』と言って帰ったので、気味の悪いことを言うと思いました」
叫ぶ子を滅多刺しした「我欲の鬼女」
それでもまだ、実行犯が誰なのかははっきりしない。
東日12月18日付朝刊で「下手人は誰?」の見出しを立てた。捜査当局が“見立てた”のは、3人と一緒に検挙した「知人1名」だったかもしれない。12月18日付東日夕刊は身元を伝えている。
「徳田家出入りの某保険会社勧誘員、中野区上高田町1ノ272金子新氏(52)」で、「当局の見るところでは」「生命保険の外交員で会社の事情に通じているところから、保険の契約についても、これが払い戻しについても、金子氏の力を借り、ついに同人を語らい、謀殺にまで参画せしめたものとにらんでいる」。
しかし、彼は、肉親の犯行が濃厚になる中ですぐに嫌疑が晴れる。警察も新聞も、犯行は全てはまが主導したとみて、非難は彼女に集中する。
東朝は19日付夕刊に「日頃から貢を責め折檻(せっかん)」という記事を掲載。12月27日付朝刊では、「父・寛も遂に口を開く」の見出しの記事で、寛が「実は、妻が、一家のため不良で手に負えぬ貢を殺害しようという相談を持ち掛けてきましたので、他の子どもたちの将来のためには手にかけることもやむを得まいと答えておきました」と供述したと書いた。
東日は12月20日付夕刊から「我慾(欲)の鬼女」を連載し、20日付朝刊では「父なし子に生れて 假(仮)面の四十六年 金と反逆と嫉妬と 悪鬼の生立ちとその素性」という偏見に満ちた記事を載せている。