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「監督にはならない」と言っていた

落合信子 中日ドラゴンズで監督を務めさせていただいた8年間、落合は常に選手のことを考えていました。それを傍らで見ていた私も、なかなかいい監督だと感じていましたが、実は現役引退したあとの落合は「監督にはならない」と言っていたのです。落合本人がやりたいかどうかではなく、自分を監督にしようと考えるような球団オーナーがいるわけないから、監督の要請は来ないと断言するのです。

 プロ野球という世界は、選手として目立つ実績を残したり、コーチで指導の勉強をしてきた人が、その手腕や可能性を認められて監督になるわけではない。他の業界でもあるように、人間関係や学閥のようなものが重んじられる場合が多いので、大学を中退し、派閥に属さず一匹狼だった自分に話が来るわけないとのこと。監督としてユニフォームを着ている姿を見てみたかったので、私はとても残念でした。

 ただ、あるテレビ番組に夫婦で出演した時、「将来はまたユニフォームを着てくださいね」という司会者の言葉に、「監督なら考えます」と落合は答えたのです。決して本人にやる気がないわけではないと、私が淡い期待を抱くと、そんな落合を見ていてくださる方がいたのです。

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 2003年秋のある日、洗濯物を取り込んでリビングに戻ると、落合が神妙な面持ちで「はい、はい」と電話をしています。ピンと来た私がバットを構える格好をすると、落合は首を縦に振りました。これは、電話の用件が野球であるという意味。私は広告のチラシの裏に「OK」、「前向きに」と書いて見せると、落合は「前向きに考えさせていただきます」と言って電話を切りました。

 そうして、落合監督は誕生したのです。