張忠謀。英語名は「モリス・チャン」、又の名を「台湾半導体産業のゴッドファーザー」。1987年に国策半導体メーカーの台湾積体電路製造(TSMC)を立ち上げ、以来30年間、トップに君臨している。メディアで公開されている写真は白髪の老紳士だが、実は瞬間湯沸かし器。激昂するとキセルを机に叩きつけ、大声で部下を叱責する。その怒りぶりは、怒鳴られた部下の膝が震えるほどの激しさだと言われ、社内では「張大師」と恐れられる。
中国上海出身。米マサチューセッツ工科大学(MIT)で機械工学を学び、米スタンフォード大学で電気工学の博士号を取得した。半導体大手の米テキサス・インスツルメンツ(TI)で25年間働き、上級副社長に上り詰めた。その後、台湾に移り、工業技術研究院(ITRI)院長に就任。そして、半導体専業ファウンドリー企業であるTSMCを設立した。
TSMCは半導体の受託生産で世界シェアの50%超を握る巨人。我々が普段使っているスマートフォン、パソコンなどの電子機器のほとんどに同社が生産した半導体チップが入っている。
張氏の最大の功績は半導体産業の中で「ファウンドリー(受託生産)」と呼ばれる業態を確立したことにある。
当時、日本を含む世界の半導体メーカーは熾烈なシェア争いの結果、余剰設備を持て余しており「受託生産など、そもそもニーズがない。狂った計画だ」と反対する声も強かったが、張氏は行き過ぎた設備投資競争のあと、世界の半導体産業が、自らは生産設備を持たない「ファブレス」を志向すると読んでいた。ファブレス化が進めば、ファウンドリーの需要は膨らむ。後発の台湾が半導体産業で居場所を見つけるには「この方式しかない」と張氏は主張した。
ファウンドリーの立ち上げに必要な資金は100億台湾ドル(約4000億円)。台湾当局が49%を出資するが、残りは民間から調達しなくてはならない。出資を求められた台湾企業は前例のない挑戦に怖気付いたが、張氏はTI時代の人脈を使い、オランダの電機大手フィリップスから約24%の出資を引き出す。これで台湾企業の警戒が解け、TSMCが誕生した。
TSMCの台頭と入れ違うように、過剰投資に溺れた日本の半導体メーカーが没落。米国や欧州では張氏の読み通り、クアルコム、ARM(現在はソフトバンク傘下)といった設計専業のファブレス半導体会社が台頭し、彼らはこぞって最先端LSI(大規模集積回路)の生産をTSMCに委託した。張氏は「世界のパソコン工場」だった台湾を「世界の半導体工場」に変えたのだ。
日本では受託生産を「格下」とみがちだが、TSMCが量産しているのは、回路線幅10ナノ(ナノは10億分の1)メートルの最先端半導体。アップルのiPhoneだけでなく高級車にも大量に使われている。今やTSMC抜きでは世界の製造業は成り立たない。
無類の勉強好きという張氏の性格を反映し、TSMCでは勉強しない人間はすぐに淘汰される。規律が厳しく、ハードワークを要求される一方、会社の要求に応えれば、土地が少ない台湾では珍しい一戸建てを20代で手に入れ、外車に乗ることも可能だ。
ただし、「朝8時から午後6時半まで懸命に働いた社員の、6時半以降の判断は信用したくない」(張氏)。ハードワークを求めつつ、非効率な長時間労働を嫌う合理性も持ち合わせているのだ。
TSMCは取引先からのキックバックを受け取らないことでも有名だ。価格は100%製品内容によって決められる。正価の商売で取引先との信頼関係を深めて行くのが張氏のやり方。相手との「貸し借り」を巧みに使って商機を広げて行く鴻海精密工業の郭台銘会長とはタイプがまったく異なる。タイミングを重視する郭氏は好機を逃さず、シャープを傘下に納めたが、張氏は東芝の半導体事業について、熟慮の結果、買収レースに加わらなかった。
「リーダーにとって最も重要なことは、将来像を提起することだ」と張氏は言う。張氏が描く将来像の中に東芝メモリは入っていなかったということだろう。今年の7月で86歳を迎えた「台湾の英雄」の頭の中には、どんな将来像が描かれているのだろうか。