夏休み期間中修理工場でタダ働き
――整備士学校時代は、どのような感じでしたか?
松本 寮で男4人部屋。本当によく耐えたと思います(笑)。そこで1年目の夏休みだったかな。僕はとにかく早く技術を覚えたかったから「タダでいいので働かせてください」と言って、近所のトラックの修理工場で働き始めたんです。
――スゴイ行動力ですね…。突然工場へ直訴するという人はなかなかいないと思います。躊躇することはなかったのですか?
松本 そういう思いはまったくなかったですね。この時も、とにかく人より早くいろんなことを覚えたい一心なので、もうやる気満々ですよ。最終的に「いいよ」と言われて働き始めて。一日終わると服が真っ黒になるんです。自分はそれだけ頑張ったっていう達成感がありました。でも、タダでいいとは言ったけれど、夏休み期間中ずっと働いていたんで、「少しは貰えるだろう」と思ったら本当にタダでした(笑)。
――そこから本格的に自動車整備士として就職となるのでしょうか。
松本 いや、そこでトラックの整備をやったせいで、「俺のやりたいのはこれじゃない」と思っちゃったんです。そこで在学中に、フェラーリとかポルシェのチューニングもできるディーラーに行ったんです。「働きたいんです!」って言って。
――また直談判ですね…。
松本 いや~、でも厳しい世界なんですよ。当時は時代もあって、スパナで殴られたりとか普通にありましたから(笑)。いろいろ勉強になることも多かったんですが、社内でいろいろトラブルがあったこともあって、急にそこを辞めないといけなくなった。それで、しばらく壁貼りとかをする建築の現場で働きました。
給料未払い…追い込まれていく生活
――急に異業種への転職になった。
松本 まずは車関係の仕事を探そうと思ったんですけど、すぐに働けるのが建築の現場だけだったんですよね。とりあえず前の会社で住んでいた寮は出なくちゃいけないから、車だけは持っていたので、仕事して、夜は銭湯に行って、車で寝る生活をしていました。昔の知人が工場を始めたので、夜は工場の端で寝させてもらったりもしていましたね。
その後は自分が入った建築現場でよさそうなところがあったので「完成したら借りてもいいですか?」って聞いてOKをもらって。作っている途中から、そこに寝泊りするようになったんです。それでようやくアパートに住めるようになって、普通の生活ができるようになった。そこから今度はクラシックカーの整備士をやるようになりました。でも、そこの仕事は給料が貰えたのが最初だけなんですよね。今思うと、会社の状態がよくなかった。
――金銭的な苦労が続く日々ですね。
松本 今までは車の修理だったけれど、今回は輸入してきた車をお客さんの注文を聞いて、1台、1台レストアして仕上げていく仕事だった。お客さんも喜んでくれたし、出来上がれば嬉しかった。でも、給料の未払いが長く続いてくると、当然貯蓄がなくなる。家賃も半年以上滞納して、税金も払っていない状態。毎月、電話と電気が止まる。仕事は一生懸命やっているはずなのに、なぜか追い込まれていくんです。