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「ただの“アダルトグッズづくりに挫折したオヤジ”で終わりたくなかった」 TENGA社長が振り返る「とにかく動く」ことの重要性

2021/06/25

 アダルトグッズが持つ後ろ暗いイメージを払しょくし、ドラッグストアやバラエティショップでも販売されているTENGA。この商品をゼロから生み出したのが、株式会社TENGAの代表取締役社長である松本光一氏だ。彼は、どのような経緯をたどって、世界中の人たちに喜ばれるような商品を作り出したのだろうか。その情熱に満ちた半生に迫った。(全2回の2回目/前編を読む)

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技術に対する憧れが強かった中学時代

――松本社長は子どもの頃は、どんな子どもでしたか?

松本 工作が好きで、ずっと何かを作っているタイプでしたね。今もあまり変わらない(笑)。祖父が新潟から出てきて、コロタイプ印刷の工場をやっていたんです。そこで父も母も働いていた。近所の小中学校のアルバムを作っていたんです。だから父が、学校行事の際には集合写真を撮りに来ていました。

 でも、僕が中学に入るくらいの時に、時代がモノクロからカラーに変わったんです。新しい機械を導入するのに何億円もかかるということで、廃業しました。僕は中学を出たらすぐに働きたいと思っていたんです。技術に対する憧れが強かったから、とにかくすぐに職人を目指して働きたかった。「何か新しいものを自分が作り出すんだ」という気持ちをとても強くもっていたのを覚えています。

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――将来の夢、みたいなものはあったんですか?

松本 最初は自動車整備士ですね。僕が子どもの頃にスーパーカーブームがあったんです。地元で開催されたスーパーカーのイベントに行ったら、当時10歳くらいだったんですが、世界の車を見て驚いたんですよ。「これは次元が違うな」って。「なんだ、これ」と思って熱中したのが始まり。それで車の仕事をやろうと決めました。

――その思いが「早く働きたい」ということにも繋がっていくのですね。

高校卒業後、整備士学校に進学

松本 そのころから直接自動車の修理工場に行って、質問したりもしていました。工場側からすれば本当に邪魔だったと思いますよ(笑)。ちょうど車の燃料供給装置がキャブレター(機械式)から、インジェクション(電子式)に代わる時代で、「一人前のメカニックになりたかったら、コンピューターを勉強しなくちゃいけないな」と思って。そこで高校に行こうと急に方向転換したんです。

――中学卒業後にすぐに就職という道から、進路が変わった。

松本 そうですね。そこから猛烈に勉強を始めました。周りには無理だと言われたけれど、そこは「勝負します」と言って譲らなかった。結果的には無事に合格できて、高校は電子科に進学しました。でも、高校出てもすぐに整備士にはなれないんです。国家資格を取らなきゃならないので、2年間の実務か専門学校に行かないといけないという決まりがある。僕は愛知にあった整備士専門学校に進学しました。