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2021/06/25

 そのうちにようやく社長から「あいつ、まじめだから給料払わなくても働くんだよね」と言われていることに気がついた。でも、仕事に熱中している時って意外とそういうことにも気づかないんですよ。「俺が無給で頑張れば、この会社の経営だってきっとよくなるはずなんだ!」って、おかしな考え方をしていたと思います。それが、ふっとそういう声が耳に入ってしまって、「これはもうここで仕事は続けられないな」と思って。その時の状況は、借金ばかりでレンタルビデオ屋の会員にもなれなかったですね(笑)。

中古車販売の営業へ転職、入社した月から営業成績が1番に

――そこで一度どん底を経験されて、どのように再起されたのですか。

松本 そんな風に長年やってきたことが全部ゼロになって、一旦、地元の静岡に戻ったんです。そこで中古車販売の営業として勤め始めました。31、32歳の頃かな。そうしたら、入社した月から営業成績が1番になれたんです。

 前職の経験が活きたこともあって、僕の車の説明はわかりやすかったと思います。また、お客さんが何を望んでいて、どんなことを提案すればよいのかがよくわかった。それが大きかったですね。営業成績でトップになって、段々貯金ができて借金も返せた。普通の生活ができるようになると、今度は長年思い描いていた「新しい物を作りたい」という気持ちが出てくるようになったんです。そこでたどりついたのが、「一般の物としてのセルフプレジャーアイテム」だったんです。

©️文藝春秋

安心できる高品質のものを作ればいい

――当時は「手に取りづらいもの」だったアダルトグッズを、「一般的な商品にしたい」と考えたとおっしゃっていましたね。

松本 そうです。例えば男性ってほとんどの人がAVを買ったり、レンタルしたりした経験がありますよね。でも、当時アダルトグッズを買うのは100人に1人しかいなかった。実に1パーセントしかいないんです。じゃあ逆に、「安心できる高品質のものを作ったら、残りの99パーセントの人がお客さんになってくれる可能性があるんだ」と思ったんです。

 それを考え出してからは、結局、本業があって片手間でやっていると、すぐに5、6年とか経ってしまうと思った。こんなに良いアイディアは、下手したら他人に取られてしまう。そこで3年間で1000万円貯めて、会社を辞めようと決めたんです。