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すべてが手探りというのは本当に辛い

――そこから、TENGAのプロトタイプの自主製作に入るわけですね。

松本 はい。今思うと、自主製作期間は一番大変でしたね…。やっぱり、0から1を生むときが本当、大変です。何がきついかって、自分ではいい方向に進んでいるかどうかがわからないんです。いまが2合目なのか3合目なのか、それとも8合目まで来ているのか。それが全くわからない状態なんです。すべてが手探りの状況というのは本当に精神的に辛いものなんです。

©️文藝春秋

――具体的には、どういう生活をしていたのですか?

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松本 中古車販売の仕事を辞めてからは毎日、朝6時に起きて、夜は深夜2時まで製作の時間にあてました。そのくらいすべてを賭けなければ、「新しいジャンルの商品は作れない」と思ったんです。でも、やっぱり時には自分がやっていることが正解なのかどうか、わからなくなったりもしましたよ。

――迷いが生じた時は、どうやって過ごしていました?

松本 結局、一番大事なのは、わからなくても手を動かしてみる、とにかく動いてみること。そうすれば、すくなくとも目に見える範囲は進むんです。少しずつでも進んでいけば、どこかで霧が薄らいで、道ができてくる時がある。やってみないと始まらないんです。動かないことにはどこに進んでいるかもわからないので。

「成功するまでやればいいや」って(笑)

――そういった考え方はとても前向きですよね。

松本 まぁ、それはそう考えるしかなかったという部分もありましたけどね。自主製作を1年以上もやっていると当然、お金も減ってきます。「さすがにもう、普通の会社員に復帰すべきなんじゃないか」と悩んだこともありましたよ。でも、どこかで開き直ったんですよね。「まあいいや」って。

 だって、このまま会社員に戻ってしまったら、ただの“アダルトグッズづくりに挫折したオヤジ”になっちゃうでしょう。じゃあもう、「成功するまでやればいいや」って(笑)。

©️文藝春秋

――お金だけを目指したらそこまでは続かないですよね。やっぱり原点としての理念があったことが大きかったような気がします。

松本 それは間違いないですね。お客さんや、社会の役に立つことで喜ばれる。その結果として、お金が入ってくる。その順番です。まずは「人の役に立ちたい」という想いがあった、小さなころから抱いていた「モノづくり」への情熱があった。スタートはそこだと思っています。

 この理念は、ずっと変わらないですね。「世界中の人をモノづくりで幸せにしたい」――。本当にそれがすべてです。だからこそ、これからも新しいものを生み出す企業であり続けたいです。

撮影=文藝春秋/松本輝一

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