今週は春競馬の掉尾を飾る宝塚記念。ファン投票で出走馬を決める、ドリームレースである。

 あなたの、そして、わたしの夢が走っています――。

 関西テレビのアナウンサー、杉本清さんの名台詞は宝塚記念のキャッチフレーズのようになっていた。90年代になってからは、実況中に杉本さん自身が「わたしの夢」を披露するようになり、それを聞くのも楽しみのひとつだったが、とくに印象に残っているのが1999年である。

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「ことしもまた、あなたの、わたしの夢が走ります。あなたの夢はスペシャルウィークかグラスワンダーか。わたしの夢はサイレンススズカです。夢かなわぬとはいえ、もう一度この舞台で、ダービー馬やグランプリホースと走ってほしかった…」

©文藝春秋

 98年秋の天皇賞で事故死したサイレンススズカは、その年の宝塚記念を逃げきっていた。思えばあれが、サイレンススズカが勝った最初で最後のGⅠだった。スペシャルウィーク、グラスワンダーの初対決で盛りあがった宝塚記念、ここにサイレンススズカがいたらどんなレースになるだろうか――。テレビを観ながら思った。

生後5日で母が死亡…悲劇的な背景を持つスペシャルウイーク

 スペシャルウィークは95年5月2日に北海道門別町(現日高町)の日高大洋牧場にうまれたが、5日後に母のキャンペンガール(父マルゼンスキー)が死んで、ばんえい競馬用の重種の乳を飲んで育った。3歳の12月には牧場で厩舎火災があり、姉のオースミキャンディが焼死している。悲劇的な背景がスペシャルウィークの物語をドラマチックにしていた。

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 サンデーサイレンス産駒で、武豊騎手が乗るスペシャルウィークは三冠レースのすべてで1番人気になり、ダービーは5馬身差で勝った(武豊騎手のダービー初勝利だった)が、皐月賞と菊花賞はセイウンスカイの3着、2着に負けた。ジャパンカップも1番人気に支持されながらエルコンドルパサーの3着に敗れている。

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 しかし、4歳になるとアメリカジョッキークラブカップ、阪神大賞典、天皇賞・春と3連勝する。天皇賞では連覇を狙うメジロブライトと二冠馬セイウンスカイを完封していて、宝塚記念での相手は1頭だけになった。まだ一度も顔を合わせていないグラスワンダーである。