「離れたくなかった」と供述した女性
二人の車上生活は2年以上続いた。誰とも関わらないように、ひっそりと暮らしていたのだろう。
そして2017年12月。冬の寒い時期に男性が体調を崩したという。横になるにも、軽乗用車の狭い助手席だ。十分に身体が休まるわけもない。体調はどんどん悪くなっていった。そして、女性が仕事に出かけるため車を離れていた間に、男性は息を引き取った。車に戻った女性は、車内にあった毛布を男性の遺体にかけ、助手席の背もたれを後ろに倒してあげたという。
長年連れ添った男性の死。本来であればすぐに消防や警察に通報しなければならない。しかし女性は、それをしなかった─。
「男性の容態が悪化し、車から一度離れると息をしていなかった。寒いと思って毛布をかけた。男性と離れたくなかった」(女性による供述)
女性は逮捕後、すぐに通報しなかった理由について、このように説明した。
二人は内縁関係にあり、籍は入れていない。女性がどこまで想定していたのかはわからないが、遺骨が女性のもとに帰ってくることはない。
家族の反対を押し切ってまで、男性と一緒に暮らす道を選び、ふるさとを捨てた。金がなく、住む家もなく、車での生活を始めた。働かない男性のために、知らない土地で一人働いた。それでも、男性さえ隣にいてくれれば乗り切ることができた。
もしかしたら、これこそが「幸せ」なのだと、自分自身に思い込ませていたのかもしれない。そうでなければ、何もかも失い、車の中で生活している自らの境遇を受け入れられなかったのではないか。そして、自我さえも保てなかったのではないか─。そんな風に私は思った。
異臭に気づいた警備員が110番通報
女性の思いは、「離れたくなかった」という言葉に集約されているように感じた。女性は、この歪んだ愛の中にしか、生きていくすべを見いだせなかったのかもしれない。そして彼女は、唯一の拠り所だった男性を失った。
それからというもの、女性は遺体を助手席に乗せたまま仕事へと向かい、車に戻る生活を続けた。二人で過ごすための車は、遺体を隠すための場所になってしまったのだ。遺体と一緒に生活しているということは、異臭もあったと思う。それでも誰にも気づかれることなく、この生活は続いた。
およそ半年後の2018年6月2日。女性は北区赤羽北のコインパーキングに車を停めた。その後、数回にわたる車の出入りが確認されている。長時間の駐車で、周囲から不審に思われないための行動だと思われる。
そして3日後の6月5日、午後8時半ごろ。コインパーキングを管理する警備員が軽乗用車から異臭がすることに気づき、110番通報をしたことで、事態が発覚した。停まっていたのは、「いわき」ナンバーの軽乗用車。ドアはロックされ、日よけで中が見えないようになっていた。
車の鍵を開けた警察官が発見したのは、男性の遺体だった。目立った外傷はない。車内からは女性の勤務先が書かれたメモが見つかり、翌日の6日、女性は遺体を遺棄した疑いで逮捕される。
こうして3年にわたる車での生活が終わったのだ。
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