たとえば、全米中に点在するフットロッカーやフットアクションといったチェーンストアで現行モデルを100ドルで買えば8000円。日本で倍の値段を付けても1万6000円と、消費者からすれば、日本での定価より少し高い程度の出費で済む。
価値があるナイキのシューズだと納得していれば、2万円台後半くらいまでは、高校生でも躊躇なくお金を払っていた時代である。何よりこの出会いのタイミングを逃せば次はない、店内にいる他の誰かに買われてしまう、という焦燥感が消費者に染み付いていた。
値上がりの理由は“円安”と“仲介業者”
しかし同年7月、日米協調介入などが実施され、アメリカの長期景気回復による経済対策としてドルが高く設定されていく。年末には1ドル=103円台まで上昇。その後は円安と言うべきか、本来の正常値に戻っていった。さらに1996年末には115円台、1997年末には130円台を推移するようになった。
こうなると、同じ100ドルのシューズの価値は、2年間で5000円も変わったことになる。身銭を切ってでも消費者に人気シューズを適正価格で届けたい、という懇篤(こんとく)なショップであれば話は別だが、そうは問屋が卸さない。人気シューズの値がどんどん高くなっていく現象を、若者たちは「人気だからだろう」と納得していたかもしれないが、実はそうした急激な円安傾向が大きな影響を及ぼしていた。
そして次は、仲介業者の介入だ。この頃になると、「エア マックス」人気を新聞やニュース、ワイドショーが取り上げるようになった。世の中にインパクトを与えるべく、メディアは「こんなに高い」「こんなに売れる」「こんなに欲しい」とブームの狂騒の一部を切り取るようになり、世の中の認識とファッション業界の感覚との間にズレが生じていった。
テレビで特集されたら、健全なブームはピークだ。「10万円でも売れるから」と5万円で販売しているショップに行って買い付ける同業者なども現れ、お金に目が眩(くら)むショップは世の中の感覚に歩みを揃えるかのように値上げするようになる。
白けていく消費者
全国各地で増え続け、競争が激化した並行輸入店も、話題作りに必死になった。とにかく目玉商品を置かなくてはならない。そのために個人間売買のフリーマーケットで購入したシューズを美中古として販売したり、委託販売を行ったりするお店も急増した。委託の手数料は安くても20%なので、小遣い稼ぎをしたい個人はその分値付けを高くし、ますますマーケットは混沌を深めていく。