しかし、同時に頭の中でチラッと警報が鳴った。マンション玄関前は小さな児童公園になっている。そのあたりにこいつの仲間が潜んで、見届け役をやっているはずだ。追い詰めると、見届け役が飛び出し、私は二人を相手にしなければならなくなる。
怯えていたのか、「待て、この野郎」という言葉が出なかった。ひたすら私も無言、男も無言で走った。階段を上りきると、男は左の小路に曲がった。すぐ明治通りに出る道である。追い切れぬと思い、私はいったんマンション玄関に引き返した。右手を左脇背にやり、指を目の前にかざすと血がついていた。血は少量だった。119番すべきか、竹内さんと「森の家」で落ち合ってから救急車を呼んでもらうべきか迷った。編集者を長いこと待たせられない。結局、ついさっき相手を追った道をたどって、「森の家」に向かった。
背中から出血し、傷口は幅5センチ、深さ10センチ
背中に右手を当てて歩くうち、血の量が多くなるのに気づいた。早稲田通りに出ると、人通りが多くなる。たいてい高田馬場駅に向かう人である。私は後ろを振り向き、すぐ後ろを歩く30代ぐらいの女性に聞いた。
「私の背中から血が流れていますか」
「ええ、量が多いですよ」
私はこの調子だと「森の家」まで行き着けぬと思い、途中にある文房具店に入った。いつもチューブ・ファイルなどをまとめて買っている顔なじみの店である。
ご主人から電話を借りて、自宅にいた息子に、自分が何者かに刺されたこと、近くの店に竹内さんを待たせているから、「森の家」の電話番号を調べて「溝口は行けない」と伝えることを頼んだ。妻はたまたま近所の葬式に出ていて、留守だった。店の奧さんがタオルを出してくれたので、それで傷口を押さえて、その後、119番通報した。
すぐ救急車が飛んできた。だいたいの事情を聞かれた後、担架ではなく、自分の足で歩いて救急車の中に入った。と、戸塚署の警官が駆けつけ、同じようなことを聞いた。犯人の人相や服装などについてである。救急車の中にも乗り込まれ、聞かれ続けた気がする。
仕事場と同じ新宿区内にある東京女子医大病院に救急車が着いた。自分で歩けると言ったのだが、車椅子に座らせられた。このときも別の警官が待機していて、同じようなことを聞かれた。私はいらだち、「そのことは別の警官に話した。なぜ入れ替わり立ち替わり同じことを聞くんだ。前の警官に聞いたらどうだ」と突き放した。私は警察からすれば、可愛げのない被害者だった。
病院ではシャツとパンツをハサミで切られ、麻酔を打たれて傷を縫われた後、集中治療室に入れられた。傷口は幅5センチ、深さ10センチ。刃先が腎臓の上端をかすめていたが、運がいいことに内臓に損傷はなかった。ただ出血量が多く、全身に疲労感を覚えた。私は輸血を断り、食事で回復しようとした。
【続きを読む】もはや「生存できず」…半世紀にわたって暴力団を見続けた男が語る“すべてのヤクザ”に突き付けられた“厳しい現実”