30分前の開戦通告が決まっていた
もっとも、この件については、山本も海軍省も神経を使っていた。日清日露の両戦争では、敢えて宣戦布告前の奇襲を行ったけれど、対米戦争では、かえって相手の戦意を高揚させることになり、デメリットのほうが大きいと判断したのである。福留繁(編集部注:当時の軍令部第一部長)が戦後に著した回想録より引用する。
「軍令部次長伊藤整一中将は、稀れにみる慎重周密な智将であった。彼は今度の戦争は存亡にかかわる容易ならぬ戦争であるから、国際的な手続を省略して後害を残すようなことがあってはならぬとして、開戦通告をすることに各部の了解を得た。〔中略〕〔ハワイ作戦に関しては、機密保持のため、計画を知る者の範囲を局限していたから〕外交措置に関しては、東郷〔茂徳〕外相と伊藤軍令部次長が直接協議したのであった。
国際法学者榎本重治氏によれば、最後通告は事前でさえあれば、時間の長短は問題ではなく、一分一秒でも合法であるとのことで、一方真珠湾攻撃は敵に防戦の余裕を与えないため、最後通告はなるべく攻撃開始直前がよい。そこで攻撃開始1時間前通告と決定したわけである。
真珠湾攻撃開始は、ハワイ時間の12月7日午前8時という決定であったから、その1時間前といえば、ワシントン時間7日午後1時である。後この時間はさらに短縮されて30分前と改められた」(福留繁『海軍生活四十年』)。
責を追うべきは、失態を招いた外務省
山本も、この問題は、よほど気にかけていたらしく、真珠湾攻撃成功の報を聞いた直後に、事前に開戦通告がなされたかを確認するよう、政務参謀の藤井茂中佐に命じていた。
ちなみに、外交史研究の権威佐藤元英は、外務省内に戦闘行為開始後に開戦を通告することにしようと策した勢力があったことを指摘している(佐藤元英『外務官僚たちの太平洋戦争』)。その要素を措くとしても、開戦通告前の攻撃という失態は、外務省側が責を負うべきで、山本のミスとすることはできないと思われる。
ただし、よく知られているように、アメリカ側は、日本の外交暗号を傍受解読し、開戦日時を含む機密情報をつかんでいた。だとすれば、アメリカ側が「だまし討ち」と責めることは、倫理的に筋が通らないと批判することも可能なはずだが、それは本書の対象とする範疇を超える問題であろう。
このほかにも、戦略・作戦次元の批判として、真珠湾攻撃をやらず、伝統的な漸減邀撃戦を試みたほうが、より決定的な勝利を得られたのではないかという議論もある。なかには、海軍軍人で砲術の大家として知られた黛治夫のように、開戦前のデータを根拠に、日本側は艦砲射撃の命中率で優越していたのだから、それを活用すべきだったと戦術次元の批判を加味する向きもある。