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 つまり、徹底的な撃滅を狙う山本と、南方作戦中の米艦隊の行動を封じられればよいとする軍令部の食いちがいがあったというのである。

 ところが、永野の指示を受けた山本司令部が下達した「機密連合艦隊命令作第一号」には、「開戦劈頭、ハワイに米艦隊を奇襲撃破し、その積極作戦を封止す」と、軍令部の意向同様の方針が示されている(『戦史叢書 ハワイ作戦』)。いったい、山本は「撃滅」と「封止」といずれに重点を置いていたのだろうか。

伝わらなかった山本の真意

 筆者は、やはり山本の真意は「撃滅」にあったと考える。それが、軍令部に充分伝わらず、また連合艦隊への命令が「封止」に傾いていることは、本書でもたびたび述べてきた、わからぬと思った相手には、言葉を尽くして説明することをしない山本の「無口」が反映されていたのではなかったか。

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『戦史叢書 ハワイ作戦』は、この問題の機微について、黒島が戦後、ハワイ作戦の目的に関して、山本の「戦備訓練作戦方針等の件覚」と同趣旨のことを回想しているのに対し、連合艦隊航空参謀の佐々木彰中佐が、そうした長官の企図は戦後に同覚書を読んで、初めて知ったと述べていることを指摘した。その上で、山本は「一部の幕僚だけにしか、自己の抱いている思想を説明していなかった」と推測するのである。

 ましてや、山本は、できれば自分が真珠湾攻撃の指揮を執りたいと思っていたのだから、なおさら真意を明かさなかったとも考えられる。山本が、開戦回避を策するための伏線として、米内光政を連合艦隊司令長官に据えるとの提言をしていた。山本は、それに加えて、その人事が実現した場合には、「小官は前述布哇作戦の準備並に実施に方りては航空艦隊司令長官を拝命し、攻撃部隊を直率せしめられんことを切望」すると、「戦備訓練作戦方針等の件覚」に記していたのだ(『大分県先哲叢書 堀悌吉資料集』、第一巻)。

 いずれにせよ、かくのごとくに「撃滅」の企図を充分知らされなかった機動部隊側は、米太平洋艦隊の「封止」が目的であると理解していた。草鹿参謀長の回想録は、この点について「作戦の目的は南方部隊の腹背擁護にある」と断言している(草鹿龍之介『連合艦隊』)。

 そもそも、真珠湾攻撃があれほどの戦果を挙げ、第二撃を考えることができる状況になろうとは、誰も予想していなかったように思われる。事実、「機密連合艦隊命令作第一号」にも、「空襲終了後、内地に帰投、整備補給を行う」とあるだけだし、機動部隊が発令した「機密機動部隊命令作第一号」(1941年11月23日付)にも、「空襲終わらば飛行機を収容し、全軍結束を固くして、敵の反撃に備えつつ高速避退」すると書かれているだけで、戦果拡張については触れられていないのである(『戦史叢書 ハワイ作戦』)。

【前編を読む】「半年か1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら…」山本五十六が忌み嫌った“日独伊三国同盟”締結の裏側