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 しかしながら、アメリカのみならず、イギリスやオランダも敵にまわした結果、彼我の戦力比は、連合国側に有利になっていた。従って、南方侵攻にも、より多くの兵力を差し向けなければならない。すなわち、もしも漸減邀撃作戦を実行しようとしても、最初から全力を傾注するわけにはいかず、状況に応じて、マレーやフィリピン方面から西太平洋に艦隊をシフトしていかなければならなかったのだ。そうなれば、南方攻略も主力決戦も不首尾に終わる可能性が大きかったであろう。ゆえに、南方作戦への米太平洋艦隊の介入をふせぐという戦略・作戦次元上の前提を充たすためにも、真珠湾攻撃は必要かつ適切であったと筆者は考える。黛の戦術次元での議論については、太平洋戦争中、日本艦隊の艦砲射撃は、演習で示したような高い命中率を示していないと答えるだけに留めておこう。

空母、戦艦どちらを第一目標とするか

 また、戦術次元の批判として、米空母は真珠湾に在泊しておらず、1隻も沈められなかったが、かかる重要な艦種を叩けなかったのでは意味はないとするものもある。これは後知恵と評するほかない論難であろう。航空母艦が海戦の主役となったことは、まさにこの真珠湾攻撃が証明した事実である。すなわち、1941年12月8日までは、空母こそ至上の目標、最優先で撃破すべきだとする説は、極端な航空主兵論者以外は唱えていなかった。にもかかわらず、米空母を沈めることを真珠湾攻撃の主眼としなかったのは誤りだとするのは、時代の先取りを要求する無いものねだりでしかないだろう。

 なお、この問題を論じる上で、『戦史叢書 海軍航空概史』には、見逃せない記述がある。連合艦隊は空襲の第一目標は戦艦、空母は第二目標と定めたというのである。これに対し、機動部隊側は、攻撃目標の優先順位を入れ換える、すなわち、第一目標を空母とするように要望したが、山本はこれを容れなかった。もし、これが事実なら、山本は、航空主兵論を唱え、さらには空母の集中使用による打撃力の発揮という先駆的な戦法を採りながら、なお戦艦の存在意義を重視していたと判断するしかない。

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写真はイメージです ©iStock.com

 いずれにしても、ここでひとまず『戦史叢書 海軍航空概史』に従って、考察してみよう。もし山本が空母ではなく戦艦を第一目標に指定したとするなら、その戦艦の持つ威信への「未練」ともいうべき感情と航空主兵論のあいだの揺れが、前者に振り切ったかたちで露呈したものと解釈可能で、充分批判の対象になるだろう。その意味で、『戦史叢書 海軍航空概史』が、山本は「本作戦〔真珠湾攻撃〕の主目的を敵の士気低下においていた。それには当時世界が一般的に海軍力の象徴と考えていた戦艦を、港内万人環視の中で撃沈するのが、最も効果的であると考えていた」と解説しているのは、的を射ているものと思われる。たしかに山本には、戦艦偏重といっても過言ではないような傾向がみられ、このあとも不可解な運用を行うのである。