山本五十六が立案指揮した「真珠湾攻撃」は、一方的かつ圧倒的な勝利をあげた作戦だったが、政治、戦略、作戦、戦術……さまざまな次元で問題があり、複数の次元が関連する争点がいまもなお指摘され続けている。

 日本が戦争を進めていくうえで、「真珠湾攻撃」はどのような意味を持っていたのだろうか。ここでは、軍事史研究者の大木毅氏の著書『「太平洋の巨鷲」山本五十六 用兵思想から見た真価』(角川新書)の一部を抜粋し、軍人としての山本五十六が立案指揮した作戦をめぐる評価について、つぶさに検証する。

◆◆◆

ADVERTISEMENT

真珠湾攻撃に向けられる批判と評価

 1941(昭和16)年12月8日、日本時間午前3時19分(ハワイ時間の12月7日午前7時49分)、南雲機動部隊が発進させた第一次攻撃隊は、「全軍攻撃せよ」を意味する「ト連送」を発信するとともに攻撃を開始した。ついで、午前3時22分には、攻撃隊長淵田美津雄中佐が「トラトラトラ」(われ奇襲に成功せり、の意)を発信する。第一次攻撃隊が碇泊中の戦艦群や地上基地の航空隊などに痛打を与えたのち、第二次攻撃隊が殺到して、追い打ちをかけた。また、特殊潜航艇5隻による攻撃も敢行されたが、こちらは戦果を挙げられなかった。

 アメリカ軍の被害は甚大であった。戦艦4、敷設艦1、標的艦1が撃沈され、戦艦4、巡洋艦3、駆逐艦3、水上機母艦1、工作艦1が損傷を受けたのだ。航空機の損害は、陸海軍合わせて231機だった。これだけの戦果に対し、日本側の犠牲は、航空機29機、特殊潜航艇5隻のみ。

 一方的かつ圧倒的な勝利といえるが、それにもかかわらず、ハワイ作戦にはさまざまな批判が向けられているのは、よく知られている通りである。政治、戦略、作戦、戦術の各次元に問題があり、加えて、それら複数の次元が関連する争点も指摘されているのだ。はたして、そうした評価は的を射ているのかどうか、また、一理あるとしても、どこまで適切なのか。以下、検討していくことにしたい。

宣戦布告前の戦闘行為

 まず、政治レベルでは、真珠湾攻撃は米国民を激昂させ、その戦意を高める結果となり、しかも、和平による戦争終結を困難にした愚策だとする見解がある。もし、この批判が、開戦劈頭の奇襲攻撃という方法自体がよくなかったのだということであれば、そもそも日本が南方侵攻作戦に出た時点で、米国民は充分に憤激したであろう。真珠湾攻撃をやらなければ、史実ほどには彼らの士気は振るわなかったはずだとする主張には根拠がない。

写真はイメージです ©iStock.com

 しかし、より検討に価する批判として、結果的に「だまし討ち」となった真珠湾攻撃が、政治・戦略レベルで悪影響をおよぼしたことは否定できないとの説がある。周知のごとく、外務当局の不手際(手交文書作成の遅れ等)により開戦通告が遅れ、真珠湾攻撃は宣戦布告前の戦闘行為になってしまったのである。それは、たしかに日本の国際的な評判を落とし、国際法違反の不意打ちをしかけてくるような卑怯な敵を打倒しなければならないとの認識を米国民に与えることになった。