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「よく分からないままバスに乗せられて…」25周年のPUFFYが明かす“未だに謎すぎる”デビュー秘話

「よく分からないままバスに乗せられて…」25周年のPUFFYが明かす“未だに謎すぎる”デビュー秘話

PUFFYインタビュー#1

2021/07/13
note

亜美 さすがに親兄弟よりも一緒にいるので、私のことを分かってくれてるなって感じですね。なにか相談しても、一番聞きたい答えをくれるし、もし聞きたくない答えが返ってきたとしても、それは本当なんだろうなっていう的確なことを言ってくれるので。最後の砦でもあるし、最初に相談する人でもありますね。

 あとは、昔だったら誰かに何か言われても、結構バッサリ切り捨てるところがあったんですよ。すごくドライというか。でも、今はちゃんとドライになってもいい人を見極めている気がします。由美ちゃんは大人になりました。あとは、もうちょっと亜美ちゃんに優しくしてあげて、とは思うんですけど。

「忍耐という言葉を覚えました(笑)」

――逆に由美さんからみて、亜美さんはいかがですか。

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由美 亜美ちゃんの第一印象は、都会の子っていうイメージかな。お洒落で髪の毛フワフワで。その頃それが天パだって気づかなくて、すごいお洒落なパーマをあててるんだと思ってました(笑)。いつも可愛い恰好して、当時はいち早くピッチ(PHS)持っていて、やっぱり東京の人は違うなって。

 内面は相当変わったよね。前は「0か100か」の考えを持ってる人だったけど、今は間が取れるようになったというか。苦手な人とは本当に、口を利かないとかじゃなくて、お喋りをどうしていいか分からないタイプだったんですね。だけど、今は全然喋りますし。そこは変わったかな。

着物でのオフショット

――亜美さん、なぜ変化されたと思いますか?

亜美 あー、やっぱり子育てが大きいなと自分では思っていて。仕事上の変化でもあるかもしれないけど、子どもと一緒にいると「この人苦手……!」とかじゃ済まないときがいっぱいあるじゃないですか。学校のこととか、子どもを含めた対人関係の中で、“出しちゃいけない自分”みたいなのがたくさんあって、それを頑張ってきました。もう、以前のようにちょっとやそっとじゃ怒らなくなりましたね。忍耐という言葉を覚えました(笑)。

――由美さんもご自身の中で変化は感じますか。

由美 私も子どもを持ったことで、生活は大きく変わりましたね。子どもは小学校3年生なんですが、限られた時間で仕事も家事もこなさなきゃいけないので、めちゃくちゃ集中力が上がったし、規則正しい生活になりました。以前は目覚まし時計を掛けて起きるなんてありえなかったけれど、今は、誰よりも早起きかもしれないです。朝6時半くらいに亜美ちゃんにLINE入れたりしますから。

亜美 早いよ!

後編に続く

◇PUFFYプロフィール

大貫亜美:東京都出身、1973年生まれ

吉村由美:大阪府出身、1975年生まれ
 

1996年、奥田民生プロデュースによるシングル『アジアの純真』でデビュー。その後、『これが私の生きる道』『サーキットの娘』『渚にまつわるエトセトラ』etc、次々とヒットを連発。彼女たちを主人公にしたアニメ「ハイ!ハイ!パフィー・アミユミ」が世界110カ国以上で放送され、2006年1月からは国土交通省から任命されたビジット・ジャパン・キャンペーン米国親善大使をつとめるなど、まさに、日本が誇る世界のポップ・アイコンとして活躍中。

 

9月22日には、デビュー25周年を記念したオリジナルニューアルバム『THE PUFFY』がリリースされる。PUFFYのオリジナルアルバムは、2011年3月の『Thank You!』以来、10年ぶりとなる。

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。

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