よく分からないままバスに乗せられて……
――キャラクターオーディション? 歌ったり演技をしたりといったことですか?
由美 そういうのもなかったですね。そもそも、古着屋で見つけたチラシに、1位が賞金30万で、2位が賞金10万円と書いてあって、お金が欲しくて応募したんです(笑)。ただ、これもちょっとよくわからない話なんですけど、はじめは書類審査で落ちたと連絡が来て。でも、ソニーの担当者が「由美ちゃんキャラが強いから、僕、個人的にやってみたいんだよね」と連絡をくださって、「あっ、そうなんですか」って言ってたら、また連絡がきて「やっぱり受かりました」と。
当時は大阪に住んでいたので、そこから東京へ行くことになるんです。で、東京に着くと、よく分からないままバスに乗せられて、1泊2日の旅行に連れていかれました。
亜美 え、こわーい(笑)。
由美 怖いよね(笑)。で、バスに乗って知らない場所に着いたら、全国からオーディションに受かった人たちが20人ぐらい集まっていたんです。そこで、みんなでパターゴルフやったり、プールに入って泳いだりしていたんですけど、今考えたらスタッフがその姿をチェックしてたんです……!
亜美 怖すぎる!
由美 もちろんオーディション慣れしている人はわかっていたと思いますが、私は経験がなかったので、何も気づかないままカラオケ大会でウェ~イ!みたいなことをやってたんですけど、そんなところも、大人たちは楽しそうにキャッキャするふりして審査してたんです。
それで、最終的に準優勝をいただいて、「何がしたいですか?」と聞かれまして。そのときは別にやりたいことが見つかっていなかったんですけど、会社に“ソニー”って書いてあるから歌手って言った方がいいのかと思って、「歌手ですかね?」って答えてみたんです。そこで、初めて歌ってみたら全員ガッカリするみたいな(笑)。だから、何もしてないんですよ、私。
亜美 それでよく今まで残ってるよね(笑)。
転機になった“アメリカでの活動”
――そんな思わぬスタートから始まったPUFFYですが、デビューから今まで、一番大きな転機を挙げるとすると、何になりますか。
由美 んー、やっぱりアメリカで活動したことですかね。
亜美 それかも、それかも。2000年くらいにアメリカのカレッジチャートで私たちの曲が上位に入っていたこともあって、サウス・バイ・サウスウエストっていう大きなフェスに出演したんですよ。その街のカフェだったり、レストランだったり、ライブハウスだったりを全部会場にして街全体で音楽フェスをやって、あとは映画祭も組み合わせたりしたイベントで。当時は、私たちからしたらアメリカで歌うなんて滅多にない経験なので、「思い出作りに行こうよ~」なんて気分で参加したら、結果的にすごく評判が良くて。
それがきっかけで、アメリカツアーも行うことになったんです。その時に、老舗ではあるけれどすごく小さいライブハウスとか、今のロックスターはみんなここを経て活躍してるよみたいな、これも小さい、小さい伝説のライブハウスを回ったりしたんです。今までこんなところでやったことない、というくらい環境的にも凄くヘビーだったんですけど、逆にそこで結構鍛えられた感じがしました。