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ミイラと闇市

 庶民派の街も世田谷区にはたくさんある。

 2017年4月6日、世田谷区船橋の希望ヶ丘団地でミイラ化した嬰児の遺体が発見された。おむつをつけたまま30年以上経過していたとされる。

 家賃未払いで立ち退きを要求されていた70代の借り主の部屋での出来事であり、埋葬されたミステリーがひょっこり顔を見せた。

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 死亡したものの手放す気になれず、そばに置いていたのだろうか。

 団地には80代以上の老齢者が目立つ。希望ヶ丘という地名と事件の悲哀さが皮肉に響く。

©iStock.com

 日が落ちかけるころ、私たちは渋谷からほど近い三軒茶屋に到着した。

 江戸時代に3軒のお茶屋があったことが地名の由来になった。

 ここ三軒茶屋も世紀をまたぎ現在も闇市の名残を留める商店街が生き残っている。246号と世田谷通りの三角地帯に闇市が存在していた。

 闇市は人が集まる駅周辺に突如出現した小売店の集合体であり、終戦直後、物資の多くは配給品だったために、闇市で売られる商品は横流しやGHQ兵士が小遣い稼ぎで持って来たものが多く、非統制品であったことから闇市の名前がついた。

 巨大な闇市としては、東京の場合、渋谷、上野、池袋、新橋、新宿といった巨大ターミナル駅周辺にできた。終戦から1952年までGHQが日本を占領していたので、日本警察とGHQの二重権力状態にあった。日本の警察がもっとも力の及ばなかった時代であり、闇市の誕生も警察力が弱まったからできたものだった。

 落花生の文字が躍る豆菓子専門店のオヤジに尋ねてみたら、この地で70年やっているという。黒糖ビーンズ250円。

 路地裏を歩くと突然、角から見知らぬ男がヌッとあらわれた。

 三軒茶屋のキャロットタワー展望室から、はるか下界の灼熱の世田谷区を見おろした。

 平和な遠景が陽炎のようにゆらゆらと揺れていた。

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東京裏23区

本橋信宏

ミリオン出版/大洋図書

2019年12月19日 発売