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眞子さまが「私の愛は私の愛」と思うのも自然なこと

 何かと話題になる小室圭さんについてはよく存じ上げないのですが、個人的には、眞子さまとの結婚について国民に説明をする必要があると思っています。お金のことや今後の計画について彼が考えていることが伝わってこないので、もし自分の娘の結婚相手だとしても「もう少しちゃんとして」と感じるでしょうね。

 ただ皇室の歴史を振り返ると、「前例のないこと」が溢れているのも事実です。しかもその多くは、時代ごとの世間の雰囲気を反映しています。

幼い礼宮さま、浩宮さまと遊ぶ美智子さま(当時) 宮内庁提供

 たとえば現在の上皇陛下が、上皇后陛下とご結婚なされたことも、当時としては異例なことでした。当時皇太子だった上皇陛下が、華族ではなく一般の方と自由恋愛で結婚することに、周囲の大人が「えーっ」と驚いていたのを覚えています。でも美智子さまの美しさと知的さが世間に知られると、今度は一転して「ミッチーブーム」が起きましたよね。

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 秋篠宮さまの結婚も異例づくしでした。昭和天皇の喪が明けていない1989年9月に婚約の記者会見をしたこと、長幼の序が重視される皇室で兄の皇太子よりも早い結婚、しかも秋篠宮さまも紀子さまも当時は学生だったんです。

1989年9月12日、記者会見を終えた礼宮さまと川嶋紀子さん(当時) ©JMPA

 ただこれも、当時の空気を思い出せば納得できます。大学内で出会って自由恋愛に落ちるのはバブル時代の雰囲気にマッチしていましたし、今上天皇がキャリアウーマンの雅子さまとご結婚されたことも合わせて、いかにも当時の「長男と次男の結婚」という印象を受けます。

 ですから眞子さまが「お父様はお父様、私の愛は私の愛」と思うのも、時代を考えれば自然なことなのかもしれません。一般の世界でも親と子で意見が食い違うことはありますから。

小室圭さんと眞子さま 婚約内定会見 ©JMPA

「男系男子優先」という伝統の価値とは

「女帝の手記」の中で私は、孝謙・称徳天皇は女性として史上初の皇太子になる場面を描きました。それ以前にも女性天皇はいましたが、多くは「男性がいないので消去法で選ばれたケース」や、「幼い男児が成長するまでのつなぎ」の存在でした。しかし孝謙・称徳天皇は、将来天皇になることを正式に期待されて育った歴史上初めての女性だったわけです。

 ただ逆説的ですが、皇室の歴史が「前例のないこと」ばかりだったからこそ、その中で守られ続けてきた「男系男子優先」という伝統の価値は計り知れないのではないかと私は思います。