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クネクネ蛇行する“激狭国道”を走ってみた 軽自動車でもギリギリ「6.4キロの酷道」はなぜ生まれた?

2021/07/11

genre : ライフ, , 娯楽, 社会

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かつて全ての国道は“酷道”だった!?

 そもそも、なぜ酷道が存在するのかといえば、話は明治時代まで遡る。国道制度がはじまったのは、明治9年。当時は2車線道路など必要なく、現代の視点で見れば、国道は全て酷道だったのだ。

 戦後、昭和28年に揮発油税が課されるようになると、自動車が走りやすい道路になるよう、全国で整備が進められた。このような流れを考えれば、酷道は“時代の流れに取り残されてきた国道”といえるだろう。

国道482号は、最も新しい“酷道”だ

 道路から感じる時代の流れや、国道のイメージと実態との乖離。いわば“ギャップ萌え”が、我々が酷道に魅了される大きな理由だ。

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 もちろん、道路は安全で走りやすいほうがいいに決まっている。しかし、予算や費用対効果だけではなく、土地の買収、自然環境や政局にも左右されるのが現実である。こうした多くの問題により、道路整備を進めるのは容易ではない。

酷道の歴史は「災害との闘いの歴史」でもある

 また、酷道というものは地形に逆らわず、山肌に張り付くように伸びている。そのため酷道の歴史は、災害との闘いの歴史でもある。落石は日常茶飯事で、ひとたび大雨が降れば土砂崩れや路肩崩壊の恐れもある。酷道であればあるほど、手がかかるのだ。

 だが、道路管理者や、復旧にあたる地元の土建業者の尽力により、今も酷道はなんとか維持されている。そうしたご苦労にも思いを寄せて、通行したいものだ。

国道157号。このときは災害の影響で路肩が崩壊していた
国道157号は道路が寸断されてしまったことも

 平成の最後と令和の最初に、酷道が相次いで誕生した。これは、酷道マニアにとって一筋の希望の光となった。しかし、全体として酷道が減り続けてゆくのは、まず間違いないだろう。

 もちろん、安全で快適な道路に整備されたほうがいいのは確かだ。しかし、それによって酷道が積み重ねてきた歴史や面白みが失われることには、一抹の寂しさを感じる。刺激的で興味深い、歴史に取り残された酷道。今後も細々と、我々を楽しませてくれることを願っている。

撮影=鹿取茂雄

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