「みなさん若かったから、プロレスに一生懸命だったんでしょう」
何より、旅館経営者の人生まで破壊されたわけではなかったことは、当事者の名誉のためにもここではっきりさせておくべきだろう。
里美さんが語る。
「年末年始というのは、お客さんが飲んで暴れるなんてことが当時はよくあったんですよ。地元の消防団の方々が新年会をやったりすると、つい飲みすぎてね。田舎じゃ飲むくらいしか楽しみがないですし、あのときはみなさん若かったから、プロレスに一生懸命だったんでしょう。仕方がなかったね、うん」
健児さんも、新日本プロレスに対する悪感情は一切ないという。
「客商売をしとった者が、ああだこうだ言ったら格好が悪いでしょう。団体も誠実な対応をしてくれましたし、当時は若かった前田さんや武藤さんがその後、プロレス界で活躍されてね。懐かしいな、頑張ってるなと励みになりましたよ」
地元でも「人柄がいい」と評判だった人情派夫妻の言葉は、今回の取材で最大の収穫となった。
大きく腫れていた武藤の顔
さて、宿の被害状況についてはかなりの新事実が明らかになったが、当日の選手たちがどんな行動を取ったのかについては、いまだ多くの謎が残っている。
まず、武藤と前田が旅館で殴り合いを演じたのは事実である。
ここに1枚の写真がある。事件3日後の1月26日夜、山口県小野田市(現・山陽小野田市)の寿司店で撮影された武藤敬司の写真だ。
右目は青く、左目は赤く腫れあがり、おたふく風邪にかかったような顔をしているが、武藤はこの日の小野田大会(TV収録)から試合に復帰している。「バーバリアン(外国人選手)の凶器攻撃による負傷」という理由で休場したのは、水俣大会の翌日24日(福岡県・飯塚大会)と25日(同・若松大会)の2日間だけだ。
「当時高校3年生だった私が、記念に撮影していただいたものでした」
そう語るのは、写真の持ち主である田中一俊さんだ。当時、田中さんは小野田市に住んでいたが、4月からは都内の私立大学に進学する予定になっていた。
「私は新日本プロレス、特に藤波さんのファンでした。同級生の父がその日の興行にかかわっていた関係から、打ち上げに呼んでいただき、藤波さんとお会いすることができました。このとき、直前まで猪木さんもいらっしゃったようなのですが、入れ替わりになったようです。4月から東京の大学に行くという話をしたところ、藤波さんや坂口さんからは“頑張れよ”と激励していただきました」(田中さん)
武藤の顔は大きく腫れていたが、田中さんは当時、それがプロレスの試合で攻撃を受けたものであると理解しており、特に不審には思わなかったという。
「もちろん、直前に水俣でそんなできごとがあったとは知りませんでした。すべてのいきさつを知ったのは、ごく最近のことです」(田中さん)