発端は武藤の「あんたらのやってるのはプロレスじゃねえんだよ」
この「旅館破壊事件」の発端は、武藤がUWFのリーダーだった前田に対して放った一言がきっかけとされている。
「あんたらのやってるのは、プロレスじゃねえんだよ。全然、客が入ってねえじゃん!」
武藤本人はそんな趣旨の言葉だったと語っているが、これに対して前田が即座に“反応”し、乱闘の呼び水となった。事件に関する選手の証言はあまり信用できないが、このやりとりに関しては真実味がある。
当時、新日本プロレスは「暗黒期」だった。小野田大会の営業を担当した上井文彦氏(元新日本プロレス執行役員)の資料によれば、九州巡業の客入りは閑古鳥。手打ち興行の収支報告は赤字が目立っている。(△はマイナス)
1月21日(熊本市民体育館)△21万3000円
1月22日(本渡市民センター)△2万5000円
1月23日(水俣市体育館・事件当日)△12万7000円
大会収支には、選手のギャラや社員の給料などは含まれていない。これはかなり深刻な数字で、「客が入ってねえ」という武藤の叫びは、はっきり正しかったのである。
よりよき未来を信じる若手選手たちの青春の一夜
「確かに当時、取組を作るのには苦労しました」
そう証言するのは、当時のマッチメーカー、ミスター高橋氏だ。高橋氏は事件当日、外国人選手の担当だったため「ビジネスホテル恋路」に宿泊しており、現場にはいなかった。
「UWFが戻ってきて1年でしょう。彼らにも新鮮味がなくなり、かといって木村健悟の売り出しも不発に終わって、特に地方ではお客さんが入らなくなった。1987年は、アングルの失敗から大きな暴動事件が2度起きてますし、テコ入れのためにリニューアルしたワールドプロレスリング中継(『ギブUPまで待てない‼ ワールドプロレスリング』)も散々な評価に終わった。会社の業績が悪いと、いろんな問題が表面化するのはプロレス団体も同じです。水俣の事件は、起こるべくして起きたと言えるかもしれませんね」(高橋氏)
よりよき未来を信じる若手選手たちが、現状に危機感を感じ、飲み、泣いて、殴り合った青春の一夜の探求は、このあたりで締めくくることにしよう。
最後に、当時の選手たちに何か言いたいことは――健児さんは次のように語った。
「もし機会があれば、水俣はとってもいいところだったよと。ひとことでも言ってくれたら嬉しいですよ」
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