「敗戦直後に半官半民でつくった、占領軍将兵用の売春と娯楽施設。大日本帝国が連合国に無条件降伏したとき、国内では『男は去勢されて強制労働、女は慰安婦にされる』とのうわさが飛び、特に女性の恐怖心は大きかった。そこで当時の内務省と警視庁は、都内の主な赤線業者やカフェ業者を集め、占領軍への慰安対策を進めてRAAを発足させた。この組織はダンスホールやレストランなどのほか、大森海岸の料亭・小町園をセックス用に指定。いわば日本女性への『肉体の防波堤』とした。これらの費用1億円(いまの500億円ぐらいか)の半額は政府融資という史上空前の企業だった」
この新聞広告は、そのための女性を集めるのが目的だった。敗戦直後にこうしたことを考えつくところに、大日本帝国の“正体”が見える気がする。
「暗闇に乙女の悲鳴 警戒陣を嘲笑次々に強盗・暴行 “恐怖の街”」
ただ、その危惧は杞憂と片づけられない面があった。戦前戦中、思想弾圧に猛威を振るった内務省警保局は特別高等警察(特高)を使って、占領軍の行動を監視していた。
週刊新潮編集部「マッカーサーの日本」によれば、同局がまとめた「米兵の不法行為」の第一報には、進駐第1日の1945年8月30日に、神奈川県横須賀市で、女中(34)が家に侵入してきたアメリカ兵2人に、運転手の妻(36)と長女(17)がやはり2人にそれぞれ性的暴行を受けたことが記載されている。
降伏文書調印2日後の1945年9月4日付で内務省保安課長が警視庁特高部長らに出した「米兵の不法行為対策資料に関する件」(粟屋憲太郎編集・解説「資料日本現代史2敗戦直後の政治と社会(1)」所収)には、ほかに千葉県館山市近郊の民家でも、アメリカ兵2人による暴行事件2件が記録されている。
同年9月14日付読売は2面トップで「つきものゝ(の)狂態も 影潜む進駐米兵」の見出しで、「危惧されたいざこざは、最初からみると驚くほど減っている」と、進駐が平穏に行われていることを強調。逆に翌1946年1月11日付東京新聞は「暗闇に乙女の悲鳴 警戒陣を嘲笑次々に強盗・暴行 “恐怖の街”中野の十時間」という現地ルポを載せている。
頻発するアメリカ兵の「女狩り」
そんな中で占領下を象徴するような事件も起きている。木村文平「秘録現代史 日本七年間の謎 アメリカへの公開状」による「蒲田事件」と呼ばれる一件の概要は次のようだ。
東京の蒲田、羽田、大森周辺では1945年秋ごろから、アメリカ兵による「女狩り」が頻発。日本の警察は手が出せないため、蒲田1丁目の町内会は自警団を結成してパトロールを始めた。