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「占領されるに適当な国民」

 小倉での事件も含めて、アメリカ軍兵士の略奪、暴行、性的暴行には、一部で日本の警察官が事実上“手引き”しているケースもある。「資料日本現代史2」に収録されている地方から内務省警保局への文書を見ても、日本国民の多くが占領軍に好感を持っていることが分かる。

 その中で、1945年9月20日付鳥取県警察部長からの「聯(連)合軍進駐を繞(めぐ)る民心の動向に関する件」は、県民の意識をこう書き留めている。

 「最近には連合軍隊に対しても『こうなれば長いものに巻かれろ。ここしばらくは大石(忠臣蔵の大石内蔵助)を決め込むんだ』『負けたのだから仕方がない』『こうなれば時の氏神(米英軍を指す)さんだ。まあ拝むに限る』などの言動散見せられ、極めて諦観的態度を持しつつあり」。これが日本国民の心情の一端だった。

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 元農商務省官僚でのちに小松製作所社長を務めた河合良成は自伝「私の人生遍路」で、第1次吉田茂政権の厚生相当時、1946年の労働争議多発から、占領軍最高司令官マッカーサー元帥の命令で中止された1947年「2.1ゼネスト」のころのことを回想している。

 いよいよゼネストの前日の午後7時に、総理大臣が全国に向かって放送することになったが、首相の吉田さんから私に「君、代わりにやってくれ」と言うので、私も3時間ばかり考えて原稿を書いて、マイクの前に立って放送を始めようという時に、進駐軍から電話で、ゼネストは禁止したから厚生大臣の放送に及ばんということでした。ただ翌朝午前0時からストに入る予定になっていることであるから、果たして進駐軍の命令が全国に徹底するかどうかと非常に心配になって、翌朝早く内閣へ行ってみると、全国どこにも1つもストが起きなかったということで、ほっと安堵しました。が、一方、日本国民はいかにも占領されるに適当な国民であることを、この時私はしみじみ感じました。

 その通りかもしれない。占領そのものについてはさまざまな論議がある。日本国憲法と象徴天皇制、日米安保条約など、その後の日本の進路を決定したという見方や、「占領によって日本は変わらなかった」とする意見もある。

占領期間中の事故被害者数(新井鉱一郎「花のない墓標」より)

 そして、アメリカ軍駐留の問題は、いまも日本の安全保障上の重大案件であり、アメリカ兵による暴行事件も、基地の大半を占める沖縄などで続いている。そのたびに日米地位協定や「おもいやり予算」が問題になるが、いまだに解決の道筋は見えない。対米従属とは言いすぎでも、対米追随の体質はこの国の骨の髄にまでしみ通っているといえるかもしれない。その意味で小倉の事件は70年余り前の出来事と簡単に片づけられない問題をはらんでいる。

【参考文献】

▽「福岡県警察史 昭和前編」 福岡県警本部 1980年
▽「北九州市史 近代・現代・行政・社会」 北九州市 1987年
▽「小倉六十三年小史」 小倉市 1963年
▽松本清張「黒地の絵」 光文社 1958年
▽松本清張「半生の記」 河出書房新社 1966年
▽「戦後史大事典増補新版」 三省堂 2005年
▽週刊新潮編集部「マッカーサーの日本」 新潮社 1970年
▽粟屋憲太郎編集・解説「資料日本現代史2敗戦直後の政治と社会(1)」 大月書店 1980年
▽木村文平「秘録現代史 日本七年間の謎 アメリカへの公開状」 光源社 1959年▽思想の科学研究会編「共同研究 日本占領」 徳間書店 1972年
▽陸戦史研究普及会編「陸戦史集第1・朝鮮戦争 国境会戦と遅滞行動」 原書房 1966年
▽鴨下信一「誰も『戦後』を覚えていない【昭和20年代後半篇】」 文春新書 2006年
▽河合良成「私の人生遍路」 実業之日本社 1952年

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 生々しいほどの強烈な事件、それを競い合って報道する新聞・雑誌、狂乱していく社会……。大正から昭和に入るころ、犯罪は現代と比べてひとつひとつが強烈な存在感を放っていました。

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