“危険な仕事”といえば、警官や消防士、漁師、探検家などが定番だろう。実は、筆者のようなライター業も時々、危険に直面する。それこそ死ぬかと思ったヤバい瞬間や事件もあった。

ロシアから輸入された闇ビールを飲む筆者 ©中川淳一郎

第3位「謎の湿疹がでるほどの多忙」

 たとえば今から20年前、ライターになりたてのひよっこ時代のこと。長時間労働は当たり前、カネもないから栄養状態も悪い。栄養不良からか謎の湿疹が体中にでき、このまま突然死するんじゃないかと不安になることもあった。

 当時の生活の一部を紹介したい。ある日、月刊誌で8ページを1人で取材・執筆することになった。担当編集者が下請けのライターをまさにコマのように扱うタイプで、「お前を鍛えてやっているのだから感謝しろよ」と常に偉そうな態度だった。

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 校了日は毎月20日。月初から企画会議が始まり、7日頃には雑誌の企画や取材対象も決まる。筆者は13の企画を担当することになり、取材先は15~20軒ほど。

 こうした雑誌の取材依頼の電話をかけると、相手から警戒されることが多い。というのも、広告の押し売りと勘違いされるからだ。「いえいえ、編集記事なのでお金は取りません!」と何度も説明し、ようやく取材が進む。

 日中は取材依頼と取材についやし、原稿が書けるのは21時以降。朝4時くらいまで原稿を書き、「こりゃもう仮眠を取らなくちゃマズい……」と30分ほど布団に入ると、携帯のベルに叩き起こされる。編集者からの電話だ。

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「あのさ、中川君さ、今回の原稿、全然ダメ。オレが直しておいたの、今メール送ったのですぐに見て。原稿ってこうやって書くんだよ。キミの原稿は『実は……』とかの驚きの部分がないし、意外性が足りない」

 雑誌の校了日までの約2週間、これが毎日続くのだ。編集者も朝から電話して働き者だと誤解する人もいるかもしれないが、彼の出社時間はいつも14時。要するにちゃんと寝ているのである。

 もし編集者のオーダーに応えられなければ、「君よりも働いてくれるライター、俺は知っているよ」と言われるものだから、当然落ち込む。仮に私が繊細であれば失踪していたか、あるいは適応障害やうつに悩まされていたかもしれないし、実際そういう同業者も多く見てきた。今思い出しても当時のような状況には二度と戻りたくない。