「バブルですね。あるとき親父が借入して店を建て替えたんですけど、その2、3年後にバブルが弾けたんで、店も住まいもボーンと飛んでって。借金が1億円ぐらいあったんだけどね、一昨年か、なんとか終わらせて。20年かかったけど、景気悪かったですからね、きつかったですよね」
そのため18年ほど前、この地に移転した。変わったつくりになっているのは、もともと寿司屋だった店舗を利用しているからだ。雰囲気はだいぶ変わったが、しかし常連客は離れていない。
「夜はダメですけどね。昼はなんとか」
話をお聞きしているときにも、学校帰りと思しき高校生の女の子がお母さんと一緒に入ってきた。「大きくなったわね。昔はこんなにちっちゃかったのにね」と、玉恵さんが声をかけている。
「もう、常連さんはね、みなさんお馴染みですね。学生時代から始めてたから、常連さんの昔のこともよく覚えてますね。コロナの影響もあるといえばあるんだけど、お陰様でうちの場合は固定客が多いんでね。サラリーマンの人たちもテレワークにはなっちゃってるけど、会社に出てきたときには必ず寄ってくれるんで。まあ、夜はダメですけどね。昼はなんとか。悪い中では上出来だと思いますね」
でも、それは納得できる話だ。なぜならこの店の料理はどれもボリュームがあり、ていねいにつくられているからだ。そんな姿勢も、そして味も、昔から変わらない。
「北千住時代も、昔の荻窪もそうだけど、労働者が多かったから。給料が少ないなかで働いてる人たちだから、お腹がいっぱいになるような食事を提供しようと。学生さんも多かったですしね。そのへんはね、やっぱり食堂ですからね」
“商人”としてのがんばりどころ
ここで「食堂」ということばが出てきたことに、小さな感動を覚えた。ラーメンブームの昨今は専門性を謳う店も多いが、あえて食堂だと言い切ることのほうが、実は難しいのではないか。
「その感覚でやってますから。やっぱりね、今回のコロナも、前回のバブルのときもそうだけど、お客さんに目が向いてない商売じゃ通用しないですからね。(借金の)返済を終えて山を越えられたのも、お客さんが来てくれたおかげだし。60年続いてるといったって、60年間通ってきてくれるお客さんがあってのことだし。いまはみんなが大変だけど、うちは幸いにもこうやって提供するものがある商売をしてるんで、お客さんを助ける番。そう思ってね。商売だから、収入が減ればそれはきついですよ。でも、いまはどっちかといったら一般の人のほうがきついんだから、精神的にね。だから、そういうところでがんばれないんじゃ、やっぱり商人じゃないですからね。そこは強く思いますよね」
重要なポイントはここだ。必要以上に職人気質をアピールするのではなく、「商人」だという気持ちを抱いていることの潔さだ。
「(商人という気持ちは)強いですね、やっぱりね。だから、仕入れひとつにしたって、地元で長くつきあってきたところを裏切りたくないし。『安いからいいや』って自分の収入のことばっか考えて仕事をするわけにはいかない。それはやっぱり信頼関係ですよね。肉屋さんにしてもなんにしてもね、うちがいちばん大変なときでもいろいろ助けてもらいましたからねえ。『事情はわかってるから大丈夫ですよ』って。だからね、楽になったからって自分ひとりで遊ぶわけにいかないですから(笑)。そんなの恥ずかしくてね」