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「1、2、3…曲がれ!」社会現象になった超能力ブーム…異常な熱気を生み出したTV各局の“オカルト倫理観”を振り返る

『オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析』より #1

2021/07/17
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「私にもできます」「うちの子だって…」といった種類の電話は、新聞社にも数多い。念力少年・関口淳くんも出演した4日夜の日本テレビ特集番組を見ていたら、この番組についての電話お断りというテロップが流れたから、テレビ局にはもっと激しいのだろう。そして目下、超能力のスターには、なぜかチビッ子が多い。(略)少年や少女はこれらの不思議をメルヘン的興味で受け取り、自らも試みるわけだが、たまたまその“冒険”に成功したように見えると、金のタマゴのように目をつけた大人たちが、少年少女の一生を狂わせることにならないか……。戦前、山田喬樹という男は娘をテレパシー(暗号によるアテモノ奇術、と石川氏は言う)の霊能少女に仕立て、9歳から15歳までの大切な少女期の彼女を、生き神さまとして御簾(みす)の中に閉じ込めた。そしてぜいたくな暮らしをしていた山田が昭和12年7月に福岡県で愛妾(あいしょう)と共にサギ罪で捕えられた時、娘の方は「これでようやく人間に戻れました」と喜んだ。これは当時、大きく報道された事件だったらしい。これは極端な例にしても、やはりテレビに登場した某少年のところには、身の上相談的な客が日に何十人か押しかけているという。石川氏の指摘する危険性なしとしない(*6)

 

*6 「読売新聞」1974年4月6日付夕刊

朝日新聞は「イワシの頭も信心だから…」

 また、4月20日付「朝日新聞」「天声人語」は、「イワシの頭も信心だから、大騒ぎしている人に水をさすのもどうかと思うが、ばかばかしい話としか言いようがない」と、次のように論じた。

「科学で解けぬ奇跡」と麗々しい触れ込みで、テレビは視聴率を上げる。本気でそう信じているのなら困ったことだし、そうでないなら無責任な話である。手品師が「タネも仕掛けもありません」と口上よろしく、シルクハットからハトや金魚ばちを出すのも不思議なことだが、だれもこれを「超能力」とは思わない。タネがあるのを知っているからだ。ただそれを見破れないから手品師は商売になる。「超能力」のタネが見破れないのは手品と同じだろうが、それに「奇跡」やら「神秘」やらともっともらしい言葉をつける。トリックさえトリックして、集団催眠術にかけようとするところがなんともいただけぬ(*7)

 

*7 「天声人語」「朝日新聞」1974年4月20日付朝刊

 およそ1カ月後、5月16日付「朝日新聞」「天声人語」は再び超能力ブームに言及するが、そのなかで「先日、このコラムで『手品を超能力だと称するところがいただけぬ』と書いたら、たくさんの投書をいただいた。ほとんど全部が『科学盲信の独断だ』という反論だった(*8)」と明かしている。超能力を率直に否定する言説に対して、受け手(読者)が反発を示すマスコミュニケーション状況があったことがうかがえる。

*8 「天声人語」「朝日新聞」1974年5月16日付朝刊

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 以下は、「週刊文春」1974年6月10日号にある記事の冒頭である。

 超能力を信ぜざる者は人にあらず、から一転して、スプーンを曲げるなどといおうものなら、白い目で見られかねまじき雰囲気だが、この一大キャンペーンの先頭に立つのが大朝日。その威力のほどをまざまざとみたり、といいたいところ(*9)

 

*9 文藝春秋編「週刊文春」1974年6月10日号、文藝春秋、148ページ