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「1、2、3…曲がれ!」社会現象になった超能力ブーム…異常な熱気を生み出したTV各局の“オカルト倫理観”を振り返る

『オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析』より #1

2021/07/17

 1973年、ユリ・ゲラーの登場によって火が付いた超能力ブーム。異常なほどの熱狂はなぜ生まれ、どのように世間から忘れられていったのか……。

 ここではメディアと宗教をテーマに研究活動を続ける高橋直子氏の著書『オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析』(青弓社)の一部を抜粋。超能力がどのようにメディアに取り上げられてきたのかを振り返り、ブームの盛衰について考える。(全2回の1回目/後編を読む)

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空前の超能力ブーム

 超能力ブームといわれた社会現象をテレビ番組の展開から描出してみると、次のようになる。まず、ブームの火付け役になったユリ・ゲラーが日本のテレビ取材に初めて応じたのは、1973年12月214日放送の『11PM』である(*1)。ディレクター(矢追純一)の面前で金属製品(パイプ用コンパニオン)を曲げ、切断してみせた。翌74年2月、初来日。この間、1月24日放送の『13時ショー』「スクープ!超能力少年日本で発見」に関口淳(当時11歳)が出演し、スプーン曲げを披露していた(*2)。2月25日、『11PM』にユリ・ゲラー生出演。司会の大橋巨泉やアシスタントの松岡きっこの前でスプーン曲げを実演し、関口少年と対面する(*3)。翌日、ユリ・ゲラーは日本を去る。

*1 ユリ・ゲラーが日本で放映されたテレビ番組に登場したのは、これより少しさかのぼる。関口少年は、12月上旬に放送された『まんがジョッキー』(日本テレビ)でユリ・ゲラーのスプーン曲げを知り、真似してみたという(𠮷田司雄「メディアと科学の〈聖戦〉――1974年の超能力論争」、2006年、青弓社『オカルトの帝国』所収、267ページ)。

*2 𠮷田司雄は「淳は人柱なのかも知れない!?“超能力”関口少年父親の手記」(読売新聞社編「週刊読売」1974年5月4日増大号、読売新聞社)、関口甫「超能力者を息子に持てば」(文藝春秋編「文藝春秋」1974年6月号、文藝春秋)、「科学万能主義への警鐘」(潮出版社編「潮」1974年6月号、潮出版社)をもとに、関口少年が超能力少年となる経緯を整理している。以下、『13時ショー』(NET)出演に至るまでを引用する。

「少年が最初に指で曲がったティー・スプーンを父親のところに持ってきたのは1973年12月中旬頃のことで、ユリ・ゲラーが11月24日、ロンドンのテレビに出演したときに9歳の女の子もスプーンを曲げたのを12月上旬、NTVの“まんがジョッキー”という子ども向けのテレビで見て、真似をしたらしいという。12月24日、ユリ・ゲラーを紹介した『11PM』を家族で見て翌25日、1家揃ってスプーンをこするが、そのときは誰も曲がらなかった。しかし、翌年1月5日、長野の斑尾高原スキー場から帰ってきて再び一家揃ってスプーンをこすると、「ママ、気持ち悪いよ、曲がったよ!?」と90度以上大きく曲がったスプーンを淳少年が見せた。1月6日、デザート・スプーンを曲げ、1月7日、さらに切断にも成功。1月21日、『13時ショー』(NET)に出演してスプーン曲げを披露」(𠮷田司雄「メディアと科学の〈聖戦〉」267ページ)

*3 この日、関口少年は昼に『13時ショー』に出演、そして夜に『11PM』でユリ・ゲラーと対面するという活躍ぶりだった(𠮷田司雄「メディアと科学の〈聖戦〉」268ページ)。

 続いて、1974年3月7日午後7時30分、日本テレビで『木曜スペシャル』「驚異の超能力!!世紀の念力男ユリ・ゲラーが奇蹟を起す!」が放送される。番組前半は離日前の公開録画で、ユリ・ゲラーがフォークを曲げてみせた。彼は念力を発揮するのに、観客や視聴者に助力を求める。「さあ、みなさん。僕に力を貸してください」「テレビを見ているみなさんも、僕と一緒に念じてください…曲がれ…と!」「1、2、3…曲がれ!」――こうしたパフォーマンスに、テレビの前の視聴者は引き込まれた。後半はカナダのトロントからの生中継で、彼は日本に念力を送るという。視聴者はスプーンや動かなくなった時計を手にするよう促される。スタジオにはスプーンを手に念じる司会者とゲスト、視聴者からの電話を受ける一群の女性スタッフ――すると、司会の三木鮎郎の止まっていた古時計が動きだし、視聴者から「うちのスプーンが曲がった」「止まっていた時計が再び時を刻み始めた」などの電話が相次いだ。「当夜だけで1万件の電話があり、局の電話交換機が焼けただれたという(*4)

*4 東京ニュース通信社『テレビ60年』(東京ニュースムック)、東京ニュース通信社、2012年、160―161ページ。なお、視聴者からの電話の件数1万件は誇張と思われるが、「電話線が焼けただれた」などとともに、決まり文句の一つになっている。