彩図社から出版されている『超能力事件クロニクル』が、オカルトファンの間で話題を集めている。科学的に解明されていないものの、常識を超えた能力を持つとされる者たちがいる。はたしてその能力は、本物なのか。本当に、超能力は存在するのか……
ここでは、代名詞ともいえるスプーン曲げで一世を風靡し、世界で最も有名な超能力者の一人となったイスラエルの超能力者人物ユリ・ゲラーを取り上げる。
親日家でもあり、2006年には日産自動車のCMに出演。これまでに来日した回数は100回を超え、山中湖の近くに1年ほど住んでいたこともあったという彼は、果たして本物の超能力者だったのか。『超能力事件クロニクル』(彩図社)より、超常現象などを懐疑的に調査しているASIOSの論考を引用し、紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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現在までの主な経歴
ユリ・ゲラーは1946年12月20日、イスラエルのテルアビブで生まれた。子どもの頃から、時計の針が勝手に動いたり、スプーンに触れただけで曲がったりしたなどのエピソードを持つ。
1964年、18歳のとき、イスラエル軍の落下傘部隊に入隊。軍務中にケガを負い、その療養の間にキャンプ場で働くが、そこでシムソン・シュトラング(通称シピ)という少年と知り合い、意気投合。のちにシピはゲラーのマネージャーとなった。
軍は1968年に除隊。その後、織物工場で働くかたわら、モデルの仕事を行い、さらに劇場などでテレパシーや金属曲げのパフォーマンスも行うようになる。
すると、ゲラーのパフォーマンスはイスラエルで人気を呼び、その話を聞きつけたアメリカの発明家アンドリア・プハリッチが、イスラエルへやって来て実験を行う。そして催眠術による記憶の呼び出しを行い、ゲラーの超能力は地球から遠く離れた宇宙船「スペクトラ」にいるナインという宇宙人から授けられたものだとの情報を得る。
こうした話を信じたプハリッチは、より本格的な実験を行うべく、ゲラーをアメリカへ招待。
1972年の春には、渡米前に一度、ドイツへ行ってパフォーマンスを成功させ、知名度を上げる。
同年8月、ついにアメリカへ渡ったゲラーは、スタンフォード研究所(SRI、現在はSRIインターナショナルへ改称)などで実験を重ねていく。1974年には、その内容が論文にまとめられ、世界的に有名な科学誌『ネイチャー』に掲載された。また70年代には、アメリカで超能力スパイをやっていたともいう。
初来日は1974年2月21日。日本テレビの番組『木曜スペシャル』(同年3月7日放送)に出演し、フォーク曲げや透視を実演した。また、日本の視聴者へ向けてテレパシーを送り、家にあるスプーンなどを視聴者自身に曲げさせるパフォーマンスも披露。これらは大きな話題を呼び、日本中にスプーン曲げブームを巻き起こした。
1979年には、シピの姉だったハナと結婚。一男一女をもうける。1985年にはイギリスへ移住。
1990年代から2000年代にかけては、自らへの批判者などに対して訴訟を繰り返す。けれども敗訴が続いて以降は態度が軟化し、批判者は自らの知名度を上げてくれた存在として位置づけるようになった。
2015年に居住地を数十年ぶりにイスラエルへ戻す。2017年には、アメリカのCIAが機密を解除した文書にゲラーを実験したものがあり、その能力を認めていたとして話題となった。
2020年現在は、ゲラー自ら、イスラエルにユリ・ゲラー博物館を建設するなどしているが、近年は真偽論争を避けるためか、「超能力者」(英語ではサイキック)とは自称せず、「エンターテイナー」と名乗ることが多くなっている。