故郷でのこの2年ほどの間、落合は若い強靭な肉体をもて余しながらも、野球への情熱をふつふつとたぎらせていたにちがいない。
兄姉から野球で活躍することを期待されているのは、身に痛いほどよくわかっていた。特に長兄は、落合の野球の才能を見抜いていた。だからこそ、何も言わず見守っていたのだ。
ショートフライかと思ったらホームラン
いよいよ野球がやりたくなった20歳の落合は、社会人野球部を持つ「東芝府中」を、高校の恩師に紹介してもらう。
東芝府中野球部のセレクションは高校3年生が多かった。歳は2、3歳しか変わらなくても、彼らには落合がふてぶてしく、ずっと年上に見えた。
セレクションが始まり、みんなでキャッチボールを始めたときには、落合はそれほど目立つこともなかった。だが、いざバッティングになったとき、彼らはぶったまげた。ショートフライだと思った打球が、そのままフェンスを越えてホームランになったのだ。
それこそ、セレクションでは桁違いのバッティングであった。
下っ端の集まり「ペイペイ会」
この東芝府中のセレクションを落合と一緒に受けた、当時高校生だった山形県酒田生まれの私の知人は、セレクションを終えた落合が木陰で煙草を吹かし一服している姿に、近寄りがたい風格を感じた、と言っていた。
落合は東芝府中に入社するが、臨時工であった。でも野球ができて、そのうえ給料が入ってくるのだから、臨時工であろうが正社員であろうが、落合には関係ない。
落合は、会社の寮から野球練習場までボロ自転車で通っていた。東芝府中野球部には封建的な感じがなかったので、自分から率先して野球に励むことができた。東芝府中の広いグラウンドで、落合は生まれて初めて、無我夢中になって野球に集中できた。勤めをきちっと終えてから野球をする臨時工だからこそ、思う存分野球ができたのかもしれない。
野球部とは関係なく東芝府中には「ペイペイ会」という名の集まりもあった。
ペイペイ=下っ端の集まりだ。40、50代の人たちが多くて、出世なんかどうでもよく、でも自虐的にはならずペイペイを楽しむ人たちであった。