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「高校では7回入部8回退部」「野球入学した大学は半年で中退」…天才・落合博満がプロ入りするまでの知られざる“足跡”

『落合博満論』より #1

2021/07/21
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長嶋そのものが野球

 長嶋の魅力は野球に尽きる。長嶋の人間性ではなく、長嶋の野球をする姿、ひとつひとつの動きが、落合にとっての長嶋なのである。長嶋=野球。転がる球を追い求めるように長嶋を追い求めてきたのだ。

 それにしても「アクがない」という言葉は長嶋を深く考察している。アクがないというのは、野球そのものなのだ。長嶋には日常がない。野球しかない。長嶋の個人が見えない。透明感があるのだ。へんな人間的な突っぱりがなく、すうっとカッコよく立っている。

 長嶋がゴロを捕るのは、よちよち歩きの赤ん坊を抱きとめるのと同じことなのである。ゴロが転がってきても、よちよち歩きの赤ん坊を胸に抱き込むように捕って、一塁に優しく送り届ける。

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 長嶋のバッティングでは、体が開いてヘンな格好になっていても、ボールの方から長嶋の振るバットに寄ってくるのだ。

 長嶋のスイングでは、ボールとバットが喧嘩しないで戯れている。

 長嶋そのものが野球なのだ。

©文藝春秋

東芝府中の四番打者に

 そして、落合が目指したのも戯れる野球、遊びの野球だった。ボールとバットが正面衝突するのではなく、楽しく戯れていた。

 両翼100メートル近いグラウンドの全部を使って、落合はボールで遊んだ。東芝府中の広いグラウンドが、落合の野球の器をつくった。

 長嶋引退の翌年、1975年から落合は東芝府中の四番打者を任される。

 東芝府中は1976年、南関東大会で優勝して、初めて都市対抗野球本大会に出場した。以降、落合は他チームの補強を含めて3度、都市対抗野球本大会に出場(都市対抗野球には本戦に出場する際、敗れたチームから補強選手を招集できるルールがある)。

 東芝府中最後の年には、全日本にも選ばれた。

 東芝府中には5年在籍して、ホームラン70本を打った。そして、ドラフト3位でロッテに指名された。

「臨時工」「ペイペイ会」「長嶋茂雄引退試合」。1974年は、この3つが体に染みつくことで、落合が大きく羽ばたいた年であった。

【続きを読む】足が速い、肩が強い、動きがよい…落合博満監督を楽しませ続けた“ナンバーワン控え選手”が見せた“最後の雄姿”

落合博満論 (集英社新書)

ねじめ正一

集英社

2021年6月17日 発売

「高校では7回入部8回退部」「野球入学した大学は半年で中退」…天才・落合博満がプロ入りするまでの知られざる“足跡”

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