選手として圧倒的な実績を残し、中日ドラゴンズの監督に就任した落合博満氏は「一芸に秀でた選手を使う」という方針を打ち出し、これまで脚光を浴びてこなかった選手も積極的に起用。ドラゴンズに黄金時代をもたらした。

 ここではねじめ正一氏の著書『落合博満論』(集英社新書)の一部を抜粋し、落合政権を象徴する2人の選手を振り返る。(全2回の2回目/前編を読む)

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思い出のブランコ

 私は落合の、8年間の監督生活のなかで、トニー・ブランコ選手のことをかなり強烈に覚えている。ドミニカ共和国出身で、森ピッチングコーチがドミニカまで出かけていって探してきた選手である。

 ブランコ選手が来日したのは2009年であった。そのシーズンの中日は、前半こそBクラスをうろうろしていたが、後半戦になってぐいぐい追い上げ、喜ばせてくれた。

 歳は28歳、身長188センチ、体重102キロ。筋肉質のがっちりした体格で打つわ、打つわ、どデカいのをガンガン飛ばす。

©文藝春秋

 なかでも驚いたのは5月7日、対広島戦で前田健太から打った、ナゴヤドームの天井スピーカーを直撃する一発であった。あれはすごかった。私が見た打球のなかでは最高であった。天井スピーカーの高さは50メートル、推定飛距離160メートル。あんな打球をバカスカ打たれたら、対戦投手はたまらないものだ。

 しかも、その翌日、東京ドームでの巨人戦で今度は左中間の看板の上を直撃する特大ホームランを打った。この2本のホームランで薄情な中日ファンである私は、去年までいたタイロン・ウッズと中村ノリ(紀洋)をさっぱり忘れてしまった。

打撃練習見にナゴヤドームへ

 そんなわけでブランコ選手のホームランにすっかり魅了された私は、一度ナゴヤドームであの超特大ホームランを見たいものだと願っていたのだが、すぐにチャンスが訪れたのであった。

 ナゴヤドームのチケットが2日続きで手に入ったのだ。試合開始前に行われるブランコ選手の打撃練習を、どうしても見たかった。

 中日の打撃練習は開門前に行われるために、ずっと見ることができなかったのだが、ブランコ選手が入団してからは、練習とはいえあのホームランをファンたちに見せないのはもったいない、ということになって、1日300名限定で見学できる日を設けることになった。落合監督のときには、こんなファンサービスもちゃんとやっていたのだ。